『アウンサンスーチーのビルマ-民主化と国民和解への道』根本敬(岩波現代全書)
本書巻末の「参考文献」の「日本語文献」だけみても、アウンサンスーチー著6冊、「アウンサンスーチー」をタイトルにした書籍5冊がある。言説だけが先行し、2012年4月に下院議員に当選してからの実際の政治的手腕に疑問をもつ内外の人びとがいるなかで、またしてもかの女を取りあげる意味はどこにあるのだろうか。そのカギは、副題の「民主化」と「国民和解」、とくに後者にありそうだ。
著者、根本敬は、「序章」で「一部で言われてきたように「妥協を知らない理想主義者」で「頑固な女性」」ではないことを、説明するために、つぎのように述べている。「本書はメディアがとりあげることの少ない彼女の思想に注目し、その特徴について論じる。なかでも彼女の非暴力主義と、それと密接に関連する和解志向をとりあげ、彼女がいかなる方向に国民を導こうとしているのかを示す。その際、彼女の歴史に対する見方についても検証する」。
かの女にかんする出版物や論考が多いなかで、著者が本書で力点をおくのは、「彼女の非暴力主義であり、さらにその延長線上にある和解志向の特徴を見ていくことである」。その理由は、つぎのように説明されている。「ビルマが歩んできた歴史(特に英領植民地以降の近現代の歩み)とここ数十年の政治状況から見て、この国の未来を考えたとき、彼女の思想と行動の中に見られるこれら二つの要素がきわめて重要な意味を持つと考えられるからである。現在のビルマで、国民に責任を持つ政治家として自国と自国民のあるべき未来を示しながら活動するアウンサンスーチーの意図は、その非暴力主義と和解志向の理解を抜きにして語ることは困難である」。
「アウンサンスーチーが最も重要な課題として認識しているのは、自国の近現代の歴史に貫かれた「暴力の連鎖」を断ち切ることである。そのためには非暴力を手段にして民主化を実現させ、その過程で「法による支配」を確立し、内部で分裂や対立をする国民の相互和解を推しすすめていくことが重視される。彼女の思想を見ていく場合、この一番大切な部分を見落としたり軽視したりすることは許されない」。
このかの女が抱く祖国の歴史理解を前提として、本書は序章、全4章、あとがきからなる。「第1章 半生を振り返る」では、「彼女の半生を振り返る。そこでは早くに父(アウンサン)を失った少女時代における母親の影響、一五歳からの外国生活(インド、英国、米国)、英人研究者マイケル・アリスとの結婚に伴う英国オクスフォードでの生活、日本での研究滞在、その間の祖国ビルマの政治的停滞と混乱、一九八八年以降の民主化運動への参加と軍政との闘い、それに伴う長期自宅軟禁、そして二〇一〇年一一月に最終的に解放されるまでの歩みがひとつひとつ叙述される」。
「第2章 思想の骨格」では、「彼女の思想の骨格を検証する。「恐怖から自由になること」、「正しい目的」と「正しい手段」の一致、「真理の追究」という実践、「問いかける姿勢」の重要性、社会と関わる仏教(Engaged Buddhism)の大切さ、そして彼女の「開かれた」ナショナリズム観を象徴する「真理にかなった国民」という六つの骨格を示し、それをひとつずつ、できる限り彼女自身の言葉を引用しながらとりあげ、その意味するところを分析する」。
「第3章 非暴力で「暴力の連鎖」を断つ」では、「アウンサンスーチーの行動を考えるうえで最も重要な非暴力主義について見ていく。彼女が語る「戦術としての非暴力」とはどういうものなのか、なぜそのような考えを抱くようになったのか、それらを彼女の進歩史観的な歴史認識と連関させて考える。あわせて「暴力の連鎖」として彼女が認識するビルマの近現代の歩みを知るため、この国の近現代史にあらわれた主要な暴力事象について振り返る」。
最後の「第4章 国民和解への遠き道のり」では、「二〇一〇年一一月に延べ一五年以上にわたった自宅軟禁から解放されたあとのアウンサンスーチーの行動を追う。はじめに、軍事政権から「民政」へ姿を変え、民主化と経済改革に向けて大きく舵を切り始めた現政権の特徴と「変化」の限界を検証し、その基盤となっている二〇〇八年憲法の問題点を明らかにする。そのうえで、二〇一二年五月に下院議員に就任した彼女が推しすすめる国民和解の意味と、彼女が考えるその方法、彼女の和解観、そしてそれを阻害するいくつかの深刻な国内的要因を示す。そこでは現在のビルマにはびこる排他性を強く持ちすぎたナショナリズムの問題をとりあげ、アウンサンスーチーの支持者までがその呪縛から自由になれていない現状と、一方で彼女を支持する人々のなかに見られるアウンサンスーチー個人崇拝の問題に触れる。これらの検証を基に、現在の彼女の立ち位置と今後の課題を示し、本書の議論を終えることにする」。
現在、反政府(反軍事政権)活動を続けている民主化要求活動家や少数民族独立・自治権獲得活動家らは、タイとの国境付近などを根拠地とし、ビルマの不安定要因のひとつになっている。これらの活動家がアウンサンスーチーをどう思っているのか、かの女の今後の活動において大きな意味をもつことは、ビルマの歴史と現状を多少知っている者なら容易に想像がつく。それにたいして、著者は、2009年3月に現地で聞き取り調査をおこない、その成果を第3章第3節で紹介している。その結果は、第4章のタイトル通り、和解への道が遠いことを示している。ベトナムなど近隣諸国でも少数民族の国民国家への統合が大きな問題であり、現在のフランスやドイツは数パーセントのイスラーム教徒の存在に苦悩している。
容易に解決しないということは、2010年に65歳で自宅軟禁から最終的に解放されたかの女の思想が、どのようにつぎの世代へと受け継がれるのかということが問題になる。「あとがき」で2人の市民活動家が紹介されているが、本書を通じてかの女の人と人とのつながりがよくわからなかった。かの女の支持母体である国民民主連盟(NLD)とは、どういう組織なのか。「非暴力」ということでガンジーとの比較がされているが、ネルーに相当する人物が現れるのか、あるいは別の思想家やカリスマ的リーダーが現れるのか。かの女の先を考えたいと思った。いずれにせよ、多くの血が流されすぎたビルマで、これ以上、血は見たくない。