『廃墟の零年1945』イアン・ブルマ著、三浦元博・軍司泰史訳(白水社)
「いまに続く戦後の原点」
以下の書評を、共同通信から2015年3月5日に配信した。
まず、本書を読むと、戦勝も敗戦も意味をなさないほどの混迷状況のなかで、第2次大戦直後にさまざまな悲劇が起こったことがわかる。この事実を知るだけで、戦争などするものではないことが伝わってくる。
著者は、敗戦国日本とドイツの戦争の記憶を比較するなど、近代日本を相対化して語ってきたアジア研究者である。本書では、さらに視野を広げ、日本が占領したアジアや、欧州の各地も語られている。
日本にかんしては、永井荷風や高見順、野坂昭如などの作品を参考にして当時の社会を描き、岸信介が戦犯に問われることなく、権力を握っていくことに戦後日本の民主化の実情を見ている。
このように本書から読者は、いまにつづくさまざまな出来事の起点を、1945年に見いだすことになる。たとえば、「日本軍が中国人、その他のアジア人に加えた行為を、連合国軍兵士が日本人に加える」ことを恐れて、日本政府が巨大な売春施設を建造したという逸話からは、「慰安婦」の問題が浮かびあがる。
また、植民地支配の象徴であった神社が、朝鮮各地で壊され、火を放たれた話には、海外からの「靖国問題」批判の根深さを感じることができる。
さらに、敗戦直後の理想主義がうんだ日本国憲法9条は、53年に来日したニクソン米副大統領によって「誤りだった」とされ、「日本がそれを改定してはならない理由はない。米国は反対しない」と述べたにもかかわらず、当時の日本人はそれに同意せず、改憲を拒否した。このことから、戦後の落ち着いた時期の日本人の判断で、今日まで9条が護持されてきたことが理解できる。
混迷とした状況のなかで起こったことを軽んじることはたやすい。だが、著者は「一九四五年を生きた男女に、彼らの辛苦と希望と大志に、敬意を払わない理由はない」と本書を結んでいる。
本書は、70年前の英知と愚かさに誠実に向かいあうことの大切さを教えてくれる。