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『近代日本の「南進」と沖縄』後藤乾一(岩波書店)

近代日本の「南進」と沖縄

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 沖縄の問題は、近代日本そのものが問われるものであり、沖縄にとってだけでなく東アジアにとっての日本問題であったことが、本書を通じてわかってくる。帯にある「現代につながる難問を解く鍵は、沖縄にある」という意味を理解することが、東アジア世界のなかの日本を考える基本になる。


 本書は、インドネシアを中心に日本との近現代関係史を専門にしてきた著者、後藤乾一の2つの問題関心から書かれたものである。「第一に、十九世紀後半以降の日本の近現代史の中で沖縄がどのように認識され政策の対象となってきたのか、そして第二に、近代日本の対外関係の主要な柱の一つである「南進」というテーマを、沖縄に焦点を置きながら改めて検討することを主要な課題とするものである」。


 本書は、通史的に5期に区分され、それぞれ独立した章となっている。章の冒頭に要約があるので理解しやすい。第1章「「国民国家」日本の中の琉球・沖縄(第1期・1870年代-1895年)」は、つぎのように要約されている。「明治維新後、沖縄は「琉球処分」によって日本の版図に組み込まれていく。「処分官」として現地に赴任した松田道之と、沖縄を探査した笹森儀助の二人の沖縄観を通して、琉球処分前後期の日本人の沖縄との関わりを見ていくことにしよう。ここには本土と沖縄の間に横たわる、後に続く認識ギャップが象徴的に現われている。やがて沖縄は「南門の関鍵」として、その軍事的地位が注目されるようになる。清朝に依拠して王国復興をもくろむ旧士族の夢は、日清戦争によりあえなく潰えていく。戦勝を契機として、日本の南方への関心は、沖縄から新たに領有した台湾へと移っていく」。


 第2章「同化と異化のはざま(第2期・1895-1922年)」の要約は、つぎの通りである。「日露戦争第一次世界大戦という対外戦争を経て、日本は列強の一員となり近隣アジアを中心に対外的な膨張を続けていく。「内国植民地」的性格をもつ沖縄を起点として帝国圏が拡大するなかで、「日本人意識」が帝国の住民に注入されていく。「未開/野蛮」とされた沖縄人(ウチナーンチユ)は、教育や徴兵を通してヤマトに対する屈折した同化意識をもつようになる。やがて「南洋は沖縄の延長」といわれ、沖縄からは台湾、フィリピン、南洋群島へと大量の労働移住がみられた。糸満の漁業民を中心に遠洋漁業が盛んとなり、糸満遠洋漁業会社が設立された」。


 第3章「近代化をめぐる葛藤(第3期・1922-1937年)」の要約は、つぎの通りである。「階層化された近代日本社会の秩序の中で、沖縄出身者は底辺部に位置づけられ、植民地ではさらにその下に植民地台湾・朝鮮出身の「日本人」が置かれた。南洋群島では沖縄出身の移民の下に朝鮮人、現地「島民」が位置づけられ、民族差=階級差という性格をもつ複合的な秩序が形成された。二十世紀前半に起こった本土知識人の沖縄に関する言説と、それに対する沖縄側の反発を通して、沖縄と日本の相互認識のずれ、あるいは日本に立ち向かう沖縄知識人の輻輳した感情が浮かび上がってくる。一九三〇年代には拓務省の国策水産業の奨励により、蘭印(現インドネシア)海域に沖縄漁船が出漁したが、日本との対立関係が先鋭化していく宗主国オランダとの間に摩擦と衝突が繰り返された」。


 第4章「南進論の高揚と沖縄(第4期・1937-1942年)」の要約は、つぎの通りである。「国家総動員法の公布(一九三八年四月一日)にともない国家総動員体制に組み込まれた沖縄では、皇国民意識の醸成をはかる国民精神総動員運動が展開され、学校教育の現場以外でもさまざまな形で挙県態勢で本土との一体化が推進された。帝国日本の植民地支配圏の拡大により海外移住をした沖縄県人の産業は第一次産業に集中し、移住先での差別構造に苦悩した。「南進」が対外政策の柱になる中で、同じく「南進」の基地である台湾との競合性が増し、沖縄は次第に主導権を奪われるようになっていった」。


 第5章「「大東亜共栄圏」下の沖縄と漁業南進(第5期・1942-1945年)」の要約は、つぎの通りである。「「大東亜戦争」開戦により沖縄では南進モードが高まり、軍部とくに海軍関係者の間ではその「軍事的拠点」としての価値が明確に認識されていた。いっぽうで在沖外国人の諜報活動を警戒する軍部は沖縄での防諜を重視したため、住民相互の間の疑心暗鬼を産むことになる。海軍では沖縄の海洋進出の伝統を生かしつつ南方に関与する沖縄人脈が築かれていく。沖縄は漁業の報国態勢が築かれ、県策会社の太洋水産株式会社が設立され、軍への納魚体制確立をめざしたが、「大東亜共栄圏」の崩壊は軍納魚体制を崩壊させたばかりか、戦前からの南洋漁業そのものを終息させた」。


 そして、終章では、この5期をさらに単純化して、「第三期一九三〇年代末までの日本にとり、沖縄は当初は「南門の関鍵」として、ついで二十世紀に入りとりわけ第一次世界大戦を契機に、「帝国的拡張」の飛び石と位置づけられ」、「日中戦争から敗戦までの第四期、第五期は、沖縄が次第に本土(「皇国日本」)防衛のための「捨て石」とされていく過程であったといっても過言ではない」とし、本書の内容をつぎのように集約している。「近現代史を通じての沖縄に対する日本「本土」のまなざし・認識には、近代日本のアジア認識の祖型ともみなしうるものが抽出できるのではないかという仮説である。そして「南進」とは、沖縄を「帝国的拡大」の起点とする日本「本土」にとって、その地が「利用」できるか否かを見極めるリトマス試験紙であり、他方沖縄にとっては「他府県と同等の勢力」(太田朝敷)を獲得できるか否かの試金石として位置づけられたのではないかということである」。


 この終章、冒頭の要約後半では、つぎのように今日の現実を述べている。「沖縄戦終結から七十年、「祖国復帰」から四十余年を経たいま、日本本土にとって沖縄は、安全保障政策上の「要石」として固定化され、基地負担はいっこうに軽減されてはいない。沖縄からは、日本本土による「構造的差別」「沖縄ただ乗り」論といった声が発信され、沖縄自立・独立論が急速に高まっている」。


 強い中央集権的な国民国家を拠り所とした近代と違い、グローバル化地方分権化のなかで国家の地位・役割は相対的に低くなっている。沖縄がスコットランドのように独立を求めても不思議ではない時代になった。いま国家が問われているのは、自国民であろうがなかろうが、暮らしやすい環境・社会の創造である。沖縄県人が暮らしにくいということは、ほかの国ぐにの人びとにとっても魅力がないということである。近代沖縄は東アジアでの日本の存在を問う試金石であった。いま、沖縄は世界のなかで日本がどのような存在であるべきかを問う試金石になっているといってもいいだろう。沖縄県人とうまく共存共栄できない日本は、アジアさらに世界の孤児になる危険性があることを、本書は教えてくれる。

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