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消え行く少女 前編・後編 白土三平(小学館クリエイティブ)

消え行く少女 前編

消え行く少女 後編

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 白土三平が、1959年に発表した『消え行く少女』の貸本単行本完全復刻版である。1999年に『白土三平初期異色作選』(青林工芸舎)に収録され、それが最初の復刻であったが、限定品ということもあり、広く読まれることは難しかったので、この二度目の復刻版の刊行は何よりの出来事である。

 物語は、1944年8月6日に広島で原爆被害にあった少女が、十年後に母を原爆症で亡くしてしまう。その後、近所の親切な家族に引き取られるが、自らも発症していることに気づき、医療費の心配をかけまいと戦争で生き別れた父親を探す旅に出かける。行く先々で様々な困難を乗り越え、戦時中に強制労働から逃れ、山に潜伏していた朝鮮人の男と出会い、これからの日々を暮らして行こうとするのだが、警察によって不幸にも引き離され、最後には一人で息絶えていく。そして、ビキニ島での水爆実験を伝える新聞記事に続き、街頭での原水爆反対運動を訴える学生の姿で幕が閉じられる。

 原爆という問題を字義通り正面から扱うと同時に、戦前、戦中の朝鮮人の強制連行とその彼らを更に強制的に帰国させるという事態も描かれている。漫画でこうした内容が可能となったのは、解説で中野晴行が指摘しているように、『難病少女もの』というジャンルが、当時、形成されていたことに由来するようである。白土は、そのジャンルを転用し、原爆による日本の被害だけではなく、強制連行による日本の加害の問題をも同時に描いたのである。1950年代半ばから、原爆を描いた映画や小説が数多く登場しているが、ヒューマニズムによって原爆の悲惨さを強調し、戦争を批判するだけでなく、日本の側の戦争責任、東アジア侵略の問題も同時に描き得た『消え行く少女』のラディカルな試みは、白土作品、日本漫画史のなかでも特筆していると言えるだろう。

 

 広島、長崎への原爆投下という人類史上の問題を漫画や映画といったメディアは、どう向き合い、いかに描き得るのか? 60年以上が経過した現在では、日本のみならず、世界的に研究が進められ、様々な議論もなされているのが現状である。そうした歴史的な積み重ねの一方で、その歴史を忘却する国家主義的な修整主義が国内で跋扈し始めている状況もあり、更に言うまでもないが、原爆という問題自体も決してなくなったわけではない。それどころかあらゆる国家にとって、未だ最大の関心事であり続けている。そうした意味では、その表象の可能性と不可能性をめぐって、50年前になされた白土の試みは、今なお積み残されているこの課題に対し、大きな問いを投げかけることになるだろう。

 

 ちなみに、本書は小学館クリエイティブの「復刻名作漫画シリーズ」の1冊で、白土作品としては一昨年の画業50周年記念のデビュー作『こがらし剣士』から始まり、10作品目にあたる。評論家や文化人などが執筆する解説を別刷りの小冊子として収めているほか、裏表紙が当時のオリジナル版になっているという演出も心憎い。その他には、手塚治虫水木しげるつげ義春などの復刻版も刊行されており、長く続けて欲しいシリーズの一つである。