『正しい楽譜の読み方 バッハからシューベルトまで』大島富士子(現代ギター社)
日本で楽譜と言えば、まず五線譜が思い浮かぶだろう。「オタマジャクシは苦手でして…」と敬遠する人も少なくない。慣れないうちはとまどうものの、親しんでみれば実に良くできた便利なシステムだ。しかし半音以下に細分される音程や微妙なリズムのニュアンスなどは表示できないので、日本古来の音楽の採譜には適さない。謡曲や雅楽などは、何とか五線の楽譜に変換してもその繊細さが伝わってこないのだ。
慣れれば便利な五線譜だが、数世紀にわたる時の流れの中、常にその表記ルールが不変だったわけではない。線の数がもっと多かった時代もあったし、音符の種類もさまざまだった。18世紀以降に思いを馳せれば、西洋音楽自体のスタイルがバロックから古典、そしてロマン派へと変化したのと並行して、楽譜が楽譜として担うべき情報の量や質も変わっていった。見た目は同じでも、そこに書かれていることの意味が違うことがあるのだ。おしなべて古いものの方がわかりづらい。同じ日本語でも万葉集と俵万智の短歌では、読者のアプローチが違うのと同じである。
創作当時は当たり前だったいろいろな約束事も、それに関する情報が失われてしまえばお手上げだ。「完成された楽譜があるのだから、その通りに演奏すれば解決するはずだ」というほど単純ではない。たとえばその曲の速さ。19世紀以降の楽譜にはメトロノームという装置で計測した客観的な数値も必要に応じて記載されるようになったが、それ以前の時代ではごくおおざっぱな表情指示しか行われなかった。もう少し前の時代になると、それすらも書かれていない。
それでもその速さを読み取ることができるのだ。古い時代の楽譜には手がかりが残されている。それがどこにどういう形で残されており、どう考えれば良いかを本書は解き明かしてくれる。専門的な分野だし、現在クラシック音楽の専門家として活躍している人の中でも、こうしたことを知っている人はほんの一握りだろう。一般の音楽大学の授業では扱いにくく、指導できる人はほとんどおらず、いきおい教わる機会もないままで終わってしまう。本当はとても大切なことなのに──そんな状況への福音となる本かもしれない。
著者の大島はウィーンでピアノと歌を学んだが、古楽といわれる分野の作品演奏を通じてこうした知識の必要性を痛感し、自ら研究するようになった。その際の師となったウィーン音楽大学のライナー教授の講義をわかりやすくまとめたものが本書である。学術書にありがちな「である調」の紋切り型ではなく、親切な家庭教師が一対一で語りかけてくれるような暖かい日本語が心地よい。ただし、一回読んだだけではおそらく「?」となるだろう。めげずに何回も読み直してほしい。本文は70ページ弱だ。読み返すたびに少しずつ霧が晴れてくるタイプの「読書を通じて知る喜び」も体験できるに違いない。「バロックはどう扱って良いかわからない。古典派も難解だ」と思い込んでいる演奏家にとって、その悩みから抜け出すひとつのきっかけになれば、と願っている。
慣れれば便利な五線譜だが、数世紀にわたる時の流れの中、常にその表記ルールが不変だったわけではない。線の数がもっと多かった時代もあったし、音符の種類もさまざまだった。18世紀以降に思いを馳せれば、西洋音楽自体のスタイルがバロックから古典、そしてロマン派へと変化したのと並行して、楽譜が楽譜として担うべき情報の量や質も変わっていった。見た目は同じでも、そこに書かれていることの意味が違うことがあるのだ。おしなべて古いものの方がわかりづらい。同じ日本語でも万葉集と俵万智の短歌では、読者のアプローチが違うのと同じである。
創作当時は当たり前だったいろいろな約束事も、それに関する情報が失われてしまえばお手上げだ。「完成された楽譜があるのだから、その通りに演奏すれば解決するはずだ」というほど単純ではない。たとえばその曲の速さ。19世紀以降の楽譜にはメトロノームという装置で計測した客観的な数値も必要に応じて記載されるようになったが、それ以前の時代ではごくおおざっぱな表情指示しか行われなかった。もう少し前の時代になると、それすらも書かれていない。
それでもその速さを読み取ることができるのだ。古い時代の楽譜には手がかりが残されている。それがどこにどういう形で残されており、どう考えれば良いかを本書は解き明かしてくれる。専門的な分野だし、現在クラシック音楽の専門家として活躍している人の中でも、こうしたことを知っている人はほんの一握りだろう。一般の音楽大学の授業では扱いにくく、指導できる人はほとんどおらず、いきおい教わる機会もないままで終わってしまう。本当はとても大切なことなのに──そんな状況への福音となる本かもしれない。
著者の大島はウィーンでピアノと歌を学んだが、古楽といわれる分野の作品演奏を通じてこうした知識の必要性を痛感し、自ら研究するようになった。その際の師となったウィーン音楽大学のライナー教授の講義をわかりやすくまとめたものが本書である。学術書にありがちな「である調」の紋切り型ではなく、親切な家庭教師が一対一で語りかけてくれるような暖かい日本語が心地よい。ただし、一回読んだだけではおそらく「?」となるだろう。めげずに何回も読み直してほしい。本文は70ページ弱だ。読み返すたびに少しずつ霧が晴れてくるタイプの「読書を通じて知る喜び」も体験できるに違いない。「バロックはどう扱って良いかわからない。古典派も難解だ」と思い込んでいる演奏家にとって、その悩みから抜け出すひとつのきっかけになれば、と願っている。