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『太郎が恋をする頃までには・・・』栗原美和子(幻冬舎)

太郎が恋をする頃までには・・・

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「差別の壁」

 今年のパリはよく雪が降る。普段は東京と同じ位で、滅多に雪は降らないのだが。石畳に雪が積もるのは美しい。私の故郷である北海道の友人たちにそんな話をすると、雪かきの苦労を忘れたか! とお叱りを頂くかもしれない。「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹」いているうちは可愛いものだろうが、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ではいけない。

 同和問題も似たところがある。渦中にいる人達にとっては、一生の問題であるどころか、過去現在未来に渡って、忘れる事のできない喫緊の重要課題であろう。だが身近にその問題を抱えていない人達にとっては、何か出来事が起こらないと思い出さない事であるかもしれない。健康な時は病気の苦しさを忘れているように。

 故に、時々このような問題作が世に出る必要があるだろう。栗原美和子の『太郎が恋をする頃までには・・・』は、同和問題を扱った私小説だ。筆者はフジテレビの有名プロデューサーのようだが、日本を離れて26年になる私は、彼女の名前を知らない。そのおかげで、先入観無くこの作品を読む事ができた。

 主人公の五十嵐今日子は、活躍していたテレビ局から系列の新聞社へと移され、その取材の一環で出合った猿まわし芸人の海地ハジメと結婚する事になる。全く自分の好みではなかった男に惹かれていく過程も面白いが、彼が被差別部落出身である事を打ち明ける所から、この作品は本当に始まる。

 幼い頃から様々な差別に晒されてきたハジメは、父の要請を受け猿まわし芸人として有名になりながらも、地元との関係に隙間風が吹き始めた頃、母親に「なんで俺を部落の子に生んだんやっ!」と叫ぶ。そして、故郷や家族と縁を切り、孤独に暮らしてきた。そんな時に今日子と出合い、惹かれて求婚する。

 二人はハジメの母との和解を果たし、今日子の両親にもハジメを紹介し、一つずつ障害を乗り越えていく。だが今日子はハジメの出自をまだ両親に話していない。話す必要はないと自己欺瞞に陥る今日子に、全てを告げる事を促すのはハジメである。入籍した後、結婚パーティを企画するが、その前に両親に打ち明ける。

 父は多少の理解を示すが、母は拒絶する。最終的に破局へと向っていくのだが、今日子の父とハジメが同じ言葉を吐く。「人間には理屈では説明しきれない感情がある」。確かにそのような感情は、対象は様々だが大なり小なり多くの人が持っているだろう。だが、それは解決不可能なものなのだろうか。

 人は女に生まれるのではなく、女になるのだと言ったのは、ボーボワールだったろうか。被差別者もそのように生まれるのではなく、社会がそのように作り上げていくものだ。かつて穢多・非人と呼ばれた階級が、農民に相対的優越感を与えるために為政者によって作られたものであることは明白だ。人が作り上げたものならば、やはり人が変える事ができると信じたい。


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