ウェルベル・コレクション、I「蟻」、II「蟻の時代」,III「蟻の革命」(角川書店)
読み終わってみての感想は、「やっぱり本って面白いな」のひとことです。この作品自体が面白いのは言うまでもありませんが、その面白さをうんぬんする前に、「本」という表現自体の面白さをあらためて思い知らされた感じがします。
なぜそんなことを思ったんだろうと考えたんですが、当たり前の答えしか出てきません。はしょって言うと、他人の眼で世界を見ることの面白さを見事に体験させてくれたということなんですね。
子どものころ、とくに小説などを読むと、しばらくのあいだ「他人でいること」に酔っているような状態が続きました。まるで、自分を忘れてしまう小旅行です。でも、大人になるにしたがって、そんな時間はとぎれとぎれになり、何かのきっかけですぐ現実に引き戻されてしまいます。もちろん、今でもそうした夢のような時間を過ごしている大人もいるんでしょうが、少なくとも僕の場合、そんな幸せな時間は激減……。
しかしこの本はそんな自分を子どものころに引き戻してくれました。
別の人格として別の世界を旅するという、この心地良い違和感……とりわけSF(サイエンスフィクション)とされている類の読み物となると、そのズレのなかに予期しない、さまざまな驚きが潜んでいます。
しかしそれを存分に楽しむためには、大げさに言えば、生き物としてこれまで溜め込んだ自分の知覚体験を再構成していく力、つまり強力な想像力が必要です。
この「蟻」という作品、ヒトではなく蟻の視点で世界を眺めることがベースになっています。蟻という、まったく違ったスケールの世界に生きる生き物としての自分を体験しながら、時に応じて等身大のヒトの世界に連れ戻される。このことによって、それぞれの視点から大きな世界の物語が見えてくるという仕組みになっています。
しかし、このなかで展開する物語を自分の頭の中で視覚的に組み立て、非日常的に展開を体験していくことはさほど難しくありません。それは蟻という身近な昆虫の世界を舞台に、非常に個性的なキャラクターたちを配し、自らを照らし合わせることのできる相似な社会を仕立てあげたからだと思います。
彼らは女王蟻を頂点に、数種類の異なる役割を持つ機能集団からなる複雑な社会をつくっています。単に集団で獲物を捕獲するだけでなく、集団農業的な活動を営むグループもあります。こうした集団が力を合わせて都市をつくり,時として縄張りを守ろうと戦争をする……といった具合です。
もちろん、僕らは蟻の生活の一部分、意味を発見しやすいところだけを見ているだけでしょう。僕らの持っている「文明」という考え方ではかるころができるから「蟻の文明」ととらえているに過ぎないのかもしれませんが、どう考えても人間の世界のように見えてきます。
こんなに似通ったヒトと蟻という種の間にコミュニケーションが生まれたらどうなるのか。それぞれの文明を比べることができたら、双方は相手をどのように評価するか? こうした興味を持続させる展開が、この作品をずば抜けて面白いものにしているのだと思います。
3部作、全部で1700ページですから長編と言っても良いと思いますが、まったく退屈する暇はありません。ミステリアスなイントロで始まる物語は、兵隊蟻103683号という魅力的な主人公による冒険の連続で、僕らの想像力をどんどん引き出していきます。ちょっと考えさせられてしまう哲学的な格言がタイミングよく挿入され、アクションに興奮していた頭をクールダウンすると同時に、活劇の裏で起きている重大な出来事の意味を暗示します。
確かに失ってしまった子ども時代の陶酔するような読書体験をを思い起こさせるドライブ感ですが、こうなると子どものままではその面白さを味わうことのできないでしょう。蟻の群態的な営みを僕ら人間の生きている社会と照らし合わせることのできる大人ならではの楽しみを提供してくれる作品です。
著者のベルナール・ウェルベルは1962年生まれのフランス人。
トゥールーズ大学法学部を卒業後、国立ジャーナリズム学校でジャーナリズムを学び、科学ジャーナリストとして活躍しています。著書に臨死体験を通して死後の世界に行く人々、「死」のダイバーたちを描いた「タナトノート」というSFもあるとのことで、僕はさっそく読書待ち行列の前の方に加えることにしました。
なぜそんなことを思ったんだろうと考えたんですが、当たり前の答えしか出てきません。はしょって言うと、他人の眼で世界を見ることの面白さを見事に体験させてくれたということなんですね。
子どものころ、とくに小説などを読むと、しばらくのあいだ「他人でいること」に酔っているような状態が続きました。まるで、自分を忘れてしまう小旅行です。でも、大人になるにしたがって、そんな時間はとぎれとぎれになり、何かのきっかけですぐ現実に引き戻されてしまいます。もちろん、今でもそうした夢のような時間を過ごしている大人もいるんでしょうが、少なくとも僕の場合、そんな幸せな時間は激減……。
しかしこの本はそんな自分を子どものころに引き戻してくれました。
別の人格として別の世界を旅するという、この心地良い違和感……とりわけSF(サイエンスフィクション)とされている類の読み物となると、そのズレのなかに予期しない、さまざまな驚きが潜んでいます。
しかしそれを存分に楽しむためには、大げさに言えば、生き物としてこれまで溜め込んだ自分の知覚体験を再構成していく力、つまり強力な想像力が必要です。
この「蟻」という作品、ヒトではなく蟻の視点で世界を眺めることがベースになっています。蟻という、まったく違ったスケールの世界に生きる生き物としての自分を体験しながら、時に応じて等身大のヒトの世界に連れ戻される。このことによって、それぞれの視点から大きな世界の物語が見えてくるという仕組みになっています。
しかし、このなかで展開する物語を自分の頭の中で視覚的に組み立て、非日常的に展開を体験していくことはさほど難しくありません。それは蟻という身近な昆虫の世界を舞台に、非常に個性的なキャラクターたちを配し、自らを照らし合わせることのできる相似な社会を仕立てあげたからだと思います。
彼らは女王蟻を頂点に、数種類の異なる役割を持つ機能集団からなる複雑な社会をつくっています。単に集団で獲物を捕獲するだけでなく、集団農業的な活動を営むグループもあります。こうした集団が力を合わせて都市をつくり,時として縄張りを守ろうと戦争をする……といった具合です。
もちろん、僕らは蟻の生活の一部分、意味を発見しやすいところだけを見ているだけでしょう。僕らの持っている「文明」という考え方ではかるころができるから「蟻の文明」ととらえているに過ぎないのかもしれませんが、どう考えても人間の世界のように見えてきます。
こんなに似通ったヒトと蟻という種の間にコミュニケーションが生まれたらどうなるのか。それぞれの文明を比べることができたら、双方は相手をどのように評価するか? こうした興味を持続させる展開が、この作品をずば抜けて面白いものにしているのだと思います。
3部作、全部で1700ページですから長編と言っても良いと思いますが、まったく退屈する暇はありません。ミステリアスなイントロで始まる物語は、兵隊蟻103683号という魅力的な主人公による冒険の連続で、僕らの想像力をどんどん引き出していきます。ちょっと考えさせられてしまう哲学的な格言がタイミングよく挿入され、アクションに興奮していた頭をクールダウンすると同時に、活劇の裏で起きている重大な出来事の意味を暗示します。
確かに失ってしまった子ども時代の陶酔するような読書体験をを思い起こさせるドライブ感ですが、こうなると子どものままではその面白さを味わうことのできないでしょう。蟻の群態的な営みを僕ら人間の生きている社会と照らし合わせることのできる大人ならではの楽しみを提供してくれる作品です。
著者のベルナール・ウェルベルは1962年生まれのフランス人。
トゥールーズ大学法学部を卒業後、国立ジャーナリズム学校でジャーナリズムを学び、科学ジャーナリストとして活躍しています。著書に臨死体験を通して死後の世界に行く人々、「死」のダイバーたちを描いた「タナトノート」というSFもあるとのことで、僕はさっそく読書待ち行列の前の方に加えることにしました。