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『百物語』杉浦日向子(新潮文庫)

百物語

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「闇の効用」

 フランスは今アニメ・漫画ブームである。「Mangas」というアニメ・漫画専門のテレビチャンネルもある。以前から「ドラゴンボール」や「ポケモン」等のアニメは普通のチャンネルでも放映していたし、漫画もあったのだが、最近はかなり新しいものが登場している。

 例えば「NANA」や「ハチミツとクローバー」のフランス語版漫画やDVDが出ているし、何と「陰陽師」のフランス語版漫画もある。手にとってみたが、日本語で読んでも理解するのに苦労する部分があるのに、全てフランス語に訳してあるどころか、所々フランス人にはなじみの薄い言葉や現象などには、別の解説がついている。感心してしまう。

 私が幼い時は、真の意味で「漫画」が文化になり始めた時なのかもしれない。月刊の「少年」、「漫画王」、「冒険王」、「少年画報」、「ぼくら」等を購入して、別冊となっていた「鉄腕アトム」、「鉄人28号」、「サスケ」等を夢中になって読んでいた。その後は「サンデー」、「マガジン」等の週刊漫画が隆盛し、「明日のジョー」や「愛と誠」などを楽しんだ記憶がある。

 少女マンガも負けていなかった。「リボンの騎士」、「ベルサイユのバラ」、「キャンディキャンディ」などの万人向けの漫画の他にも「ファイヤー」、「風と木の詩」、「ポーの一族」などの素晴らしい作品が生まれた。この流れは今も変わっていないと思う。

 だが、最近の漫画の中には、疲れるものもある。こちらの年齢のせいなのか、ストーリーの進行速度の速さと、あらゆる意味で過激な描写に辟易してしまう時がある。そんな時に杉浦日向子の「百物語」を読むとホッとする。筆者は人気番組の「お江戸でござる」を監修したり、江戸情緒を解説したり、お茶の間の人気者だったが、46歳の若さで急逝してしまった。しかし、彼女は元々漫画家だ。

 「百物語」とは、ご存知のように、怪談話を皆で楽しみ、百話語り終えると本物の妖怪が現れるという伝説である。杉浦日向子はこれを漫画にした。何よりも絵が良い。懐かしく、柔らかく、まるで胎内回帰をしているような心地良さがある。怪談話であるはずなのに、鋭角な恐ろしさは無い。何か不思議な、どこか心にひっかかるような、そんな話が多い。こちらの五感全てに訴えてくる表現も心憎い。

 私たちは電気を手に入れた時から、こういった不思議な「闇」を忘れてしまったのかもしれない。蝋燭や油の明かりで生活していた時は、明るいのはその周りだけで、少し離れると闇の王国だったはずだ。そこに何があるのか、想像力を生かして多くの物語を作り上げた。谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』で、日本の漆器の美しさは「闇」を条件に入れなければ考えられないと言い、京都の料理屋で燭台を持ってこさせた事を書いている。

 人の手の届く所にある、柔らかな闇。そういったものと共存してきた人間が、闇を払拭した時、近年多発する陰惨な事件を生み出す元となる、手の届かない、もっと硬く、深く、暗い新たな「闇」が、私たちの心に生まれたのかもしれない。杉浦日向子の「百物語」は、そんな「闇」を中和するための一助となりそうである。


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