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『指揮者、この瞬間』松尾葉子(樹立社)

指揮者、この瞬間

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「元気のでる一冊!」

 松尾葉子さんは明るく元気な人だ。いつもエネルギッシュで、パワーがこちらにも伝わってくる。パリに来られると、良く我が家で一緒にグラスを傾ける友人でもある。元々ワインはボルドーがお好みだが、最近は私の好みでブルゴーニュも出すので、こちらにも開眼しつつある。

 彼女がパリに来るのは「充電」のためである。日本では、東京藝大の指揮科で教え、オーケストラで指揮をし、合唱団の指導をし、各種イヴェントを企画し、子供たちのジュニア・オーケストラの育成にも努めているという、まさに寝る暇も無いほどの忙しさだ。音楽は芸術であるから、自分の中にあるものをどんどん外に出して表現する事になる。だから時々はエネルギー補給、充電が必要となる。松尾さんはパリに来ると連日演奏会に行っている。そこで元気の元を蓄積し、得た感激を仕事に活かしているのだ。

 そんなヨーコさんの、ここ10年余りの活動の軌跡が『指揮者、この瞬間』だ。内容は……とにかく面白い。細かいところは気にせず、素直な感情が溢れていて、多少の障害など物ともしない。彼女の性格そのものだ。序章は演奏会の三日前に、階段から滑り落ちて肩を脱臼する所から始まる。彼女はめげない。ワインの栓抜きもボトルを回す工夫で何とかし、左手がどんどんたくましくなっていったそうだ。これを「新鮮な感覚の日々」と書く。

 彼女のもう一つの特色は、発想の面白さだ、そしてそれを実現してしまう実行力が凄い。オペラの『ドン・ジョヴァンニ』を能、狂言の様式で上演する。『カルメン』を文楽仕立てにする。何と柔らかい発想である事か。これはパリという磁場そのもののような気がする。パリは昔から東西の音楽家、作家、画家たちが集まり、出会い、新たなものを想像していく場であった。そんなパリそのものが、松尾さんの中で息づいている。

 墨田区のトリフォニーホールを舞台とするジュニア・オーケストラの話も素晴らしい。コンサートに行くと、中には地面に足がつかない小さな子供も混じっている。彼らは何と楽しそうに演奏することだろうか。演奏会が終わった後も、演奏者である子供たちは興奮して皆で色々な話をしている。子供たちの熱気で、こちらの心も温かくなる。そんなオーケストラの成長裏話は楽しい。

 松尾さんは大変な「雨女」でもある。パリのシャンゼリゼ劇場で彼女が指揮をした時は、何と11月だというのに大雪になってしまった! パリに26年住んでいる私も、あんな経験は滅多にない。だが、雨でも台風でも演奏会は大入りで、いつも支障なく行われるようだ。ヨーコさんは不思議な女性である。このパワーがどこから出てくるかは分からないが、少なくとも本を通して触れ合うだけで、元気が出てくること間違い無しである。元気が欲しい時、お勧めの一冊である。


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