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『生きながら火に焼かれて』スアド(ソニー・マガジンズ)

生きながら火に焼かれて

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「名誉の殺人とは何か」

 交通手段が発達し、インターネットで世界中の情報が手に入るようになったが、一体我々は世界の事をどれほど分っているのだろうか。「事実は小説よりも奇なり」とは言うが、スアドの『生きながら火に焼かれて』を読むと、「事実」の重みと、その理不尽さが良く伝わってくる。

 スアドは中東のシスヨルダンの小さな村に生まれる。小さい時から牛馬のように(実際は牛馬以下の扱いであるが)こき使われる。父は絶対的な権力者であり、どんな些細な口実でも、スアドは杖やベルトで殴られる。雌牛は乳を出し子牛を産む。羊からは羊毛が取れ、乳も搾れる。だが娘は何も産まない。この村では(家では、ではない)女は家畜以下の存在だ。男だけが崇高なる存在なのである。

 スアドは幼い時に、母が産んだばかりの赤ちゃんを自分で窒息死させるのを目撃する。もちろん、その子が女だったからだ。母は14人子供を生んだが、「残っている」のは5人か7人。彼女は後にヨーロッパで暮らし始めてから20年以上経った時に、突然ハナンという妹の事を思い出す。ハナンはスアドの目の前で、弟のアサドにより絞め殺された。多分ハナンが何か「過ち」を犯したのだ。

 結婚前の娘が男と目を合わせたり、話をしたりするだけで「シャルムータ(娼婦)」と呼ばれる。家族は名誉を守るためにその娘を殺さなくてはならない。しかもこれは「名誉の殺人」であり、罪にはならない。ハナンも何らかの「罪」を犯したのだろう。日本と比較することは何の意味もないだろうが、これでは日本の未婚の女性は全員殺されてしまう。

 姉のヌーラが結婚する。夫と一緒ならば外出もできるし、男の子を生めば褒められる。しかし、殴られ虐待されるのは同じ事だ。その相手が、父から夫に代わっただけだ。それでもスアドは姉の事をうらやむ。自分も結婚したいと強く願い、近所の男性と知り合う。結婚の約束をしてくれたので、嫌われたくないがために、体を許す。妊娠が分った時に男はスアドを捨てる。

 文句なしの「シャルムータ」となってしまった彼女は、「家族会議」の結果、姉の夫のユッサンにガソリンをかけられ火をつけられる。表に逃げ出し助けられ、病院に運ばれ生死の境をさまよう。父は病院に来てスアドを罵り、母は彼女に服毒自殺を勧める。薬も貰えず、治療もまともに施されず、「自然死」を待つだけの彼女を救ったのは、ジャクリーヌという福祉団体で働く女性だ。

 本の後半には、ジャクリーヌの証言と、スアドが肉体的にまた精神的に回復していく長い道のりが描かれている。彼女は勇気を振り絞ってこの本を書いた。どこへ逃げても追いかけられて殺された女性も沢山いるからだ。これは数世紀前の話ではなく、現在なのだ。この紛れもない事実に、驚嘆を禁じえない。スアドが数々の苦痛やトラウマから解放されて、幸せになる事を願いたい。そして少しでも自分を「不幸」だと思う人に、この作品を読んでもらいたいと心から思う。


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