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『わたしを離さないで』カズオ・イシグロ(ハヤカワepi文庫)

わたしを離さないで

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「人間の究極のエゴイズム」

作年末はフランス西部のブルターニュにある漁港で過ごした。温和な気候で知られる町だが、新鮮な魚が手に入るのは嬉しい。どんな旅行にも何冊か本を抱えて行くが、昨年最後に読んだこの作品は、色々と考えさせられるものだった。

カズオ・イシグロの作品は『日の名残』しか読んでいないが、二人称的で静謐な文体と日本生まれの作家がなぜイギリスの貴族社会のことをこんなに詳しく知り得たのだろうかという素朴な疑問が記憶に残っている。今回読んだ『わたしを離さないで』も同じ特色はあるのだが(貴族社会とは関係ないが)テーマは似ても似つかないものだった。

テーマは割りと早い段階で明らかになるし、冒頭からいくつかヒントが出されているので、勘の良い読者ならばすぐにこの恐ろしいテーマに気づくだろう。だが、解説者の柴田元幸も訳者の土屋政雄も、読者が自分で気づいたほうが良いと考えているようなので、私も敢えて明言しない。イシグロ自身はネタバレを否定していないようだし、テーマを知っていようがいまいが、多角的な読みが可能な作品であることは間違いないのだが。

例えばこの作品を、現代科学が生み得る一つの悲劇を描いた近未来小説(例え舞台の設定が1990年代末であろうと)とも読めるし、サルトルの「限界状況」の再現的作品と考えることも可能だ。また私は、主要登場人物であるキャシー、ルース、トミーの愛の物語であるとも考えている。さらに日本で生まれイギリスで育った作者の「無常観」を表現した作品などと読むこともできそうだ。

だが、どんな読みをしようと、この作品の裏に隠れているのが人間の強烈なエゴイズムと諦念であることは、避けて通ることはできない。我々がどんなに罪深い存在なのか、人間が人間として生きるのはどういうことなのか、深く考えさせられる。だからこそフィクションであるのに、異常なほどの現実感と臨場感に溢れる作品に仕上がっているのだろう。

思えば我々は毎日どれだけの生命体を犠牲にして生きているのだろうか。ベジタリアンだから罪が少ないというようなレベルではないだろう。かつて安部公房は『事業』の中で「生物を殺すのはそれが直接食うことを目的とした場合は罪でないというキリストの教えだった。」と強烈な風刺を持って、カニバリズムを正当化したが、我々の「科学」が行きつく所は「生物」の定義さえ曖昧にしかねない。

誰でも長生きしたいと思うのかもしれない。だが、そのためにどれだけの犠牲が許されるのだろうか。しかもそれが食糧としての犠牲ではなく、もっと直接的な「犠牲」であったとしたら。簡単に答えを出せる問題ではないのは、分っている。しかし、だからこそ常に真剣に考え続けなくてはならない問題でもあるだろう。『わたしを離さないで』は、その大切さを私たちに明確に教えてくれる。ますます科学が「進歩」するであろう今世紀において、最も重要かつ喫緊のテーマの一つであるに違いない。


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