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プロの読み手による書評ブログ

『サードカルチャーキッズ』デビッド・C. ポロック、ルース=ヴァン・リーケン(スリーエーネットワーク)

サードカルチャーキッズ

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「二つの文化の狭間で揺れる子どもたち」

 サードカルチャーキッズ(TCK・Third Culture Kids)という言葉をご存知だろうか。「第三文化の子ども」とは「発達段階のかなりの年数を両親の属する文化圏の外で過ごした子どものこと」である。ただし「第三文化」とは「第三世界の文化」のことではない。例えば私の勤務しているパリのインターナショナルスクールには、常に日本人生徒が数十名在籍している。彼らの両親が共に日本人だとすると、日本の文化が「第一文化」で、現地のフランスの文化が「第二文化」である。そしてその「二つの文化の間の文化」で育つ子供たちが「第三文化の子供たち」であるというのが、社会学者のウシーム博士の定義である。つまり私の教え子たちのほとんどがTCKであるということになる。 

 彼らはどのような特徴を持っているのか。豊富な異文化体験のおかげで世界観が広がる一方、自国の文化を知らず、忠誠心が無いという点も持ち合わせている。新しい環境に適応する能力があり、偏見にとらわれない反面、周囲との違いを意識し、不信感を持ち続けるTCKがいる。本書にはそのような例が豊富に引用されている。

 ソフィーの育ったアフリカのマリの村では、通りすがりに男女の区別無く挨拶をすることが礼儀だ。NYの大学に入学したとき、警察によるレイプ防止セミナーが開かれ、警察官が「他人と眼を合わせてはいけません。暴行した後、犯人は女性が目で誘ったと言うことがあります」と言う。しかし、ソフィーはそれまで行き交う見知らぬ男性一人一人に微笑みかけていた!

 

 シンガポールで育ったアメリカ人のエリカは、アメリカに戻ったときに違和感を感じる。「なぜみんなアメリカンフットボールでどのチームが勝ったかなどということばかりに騒ぎ立て、ボスニアルワンダで起こっているような政治不安や暴力に無関心であられるのだろうか?」焦燥感がつのり、大学院をやめて「故郷」であるシンガポールに帰る。だが、仕事にしろ生活にしろ、駐在員の両親と共に暮らしたときとは環境が全く違う。結果的にエリカはアメリカの両親に泣きながら電話する。「二つのかけ離れた世界があって、私、その間で育ってしまったみたい。やっとわかったの、両方とも私の属する世界じゃないってことを」

 インドで育ったドイツ人のマリエラは、ガーナのNGO系病院で働いているとき不思議な事に出会う。ドイツから派遣されてきた新しい医師の書く処方箋を、診察室から出ると皆捨ててしまうのだ。医師は処方箋を渡すときに、空いている左手を使っていた。マリエラはインドでの経験を生かし、ガーナでも同じではないかと判断し、医師に向きをかけて右手で処方箋を渡すように勧めた。インドでは左手は不浄の手だからだ。すると、処方箋を捨てる患者はいなくなった。

 他にも数多くの興味深い実例が紹介されている。そして、不均等な成熟、思春期の遅滞、反抗期の遅滞等もTCKの特徴であると言う。だがこれは帰国子女だけに関することであろうか。前述したウシーム博士は、近年の研究でTCKの定義を「親に伴って別の社会に移動する子どもたち」とした。ならば、関東圏から関西圏に移動した子どもや、青森から鹿児島に移動した子どもたちも、ある意味TCKではないのか。さらに、一つの学級の中でも、スポーツ得意組と芸能関係得意組の二つの「文化」の狭間で悩む子どもまでもその範疇に入れられるのではないか。

 何故なら、本書の後半に書かれているTCK問題の種々の対処法は、これらの子どもたちにも応用できると思えるからだ。例えば「もし子どもが人権を侵されていたり、またその危険性があると告白したら、仕事上の経歴にどんな影響が出ようとも、親はそれに介入する心構えを持たなければならない。」というのは、いじめ対策にも有効な考え方だろう。TCK体験を持つドイツ人のダークは、人生で一番良かったことはと聞かれて「こんな人生を送れたってことさ」と答えている。このような子どもを一人でも増やすためにも、本書は役に立ちそうだ。


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