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『ホテルローヤル』桜木紫乃(集英社)

ホテルローヤル

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「登場人物の同伴者としての作家」

 石川啄木は「石もて追われ」た故郷であっても、やはり懐かしくてたまらなく、故郷の方言を聞くために上野駅に行ったことを詠んでいるが、「ふるさと」とは誰にとっても多かれ少なかれ重要な場所であるに違いない。そんな故郷から吉報が届くと、興味を持たずにはいられない。

 桜木紫乃は北海道出身の作家で、先日『ホテルローヤル』で直木賞を受けた。地元では売り切れでなかなか入手しにくくなっているようだが、読む機会を得た。一読して感じたのは、その割合安定した文体だ。少々分かりにくい暗喩が出てくるが、それ以外は安心して読むことができた。また、7つの短編の内容が、工夫を凝らされて繋がっている。全てを読んで初めて「ホテルローヤル」の輪郭が明確になってくる。

 「ホテルローヤル」は釧路湿原を見渡せる場所にあるラブホテルだ。このホテルを舞台として、様々な人々の人生が交錯する。ホテルが擬人化されているわけではないし、語り手となっているわけでもないのだが、作品を読み進むうちにこのホテルの存在が見知らぬ生き物のように熱を帯びてくる。この存在感は「ホテルローヤル」が単なる想像上の産物ではなく、作者の実家がラブホテルであったことが大きく影響しているだろう。

 最初の短編では、廃墟と化した「ホテルローヤル」に忍び込み撮影をするカップルが描かれ、最後ではこのホテルを作り経営に全てをかけようとする田中大吉と愛人のるり子が登場している。つまり、最初の作品から最後まで徐々に時間を遡った世界が描かれているのだ。それぞれの短編のラストでは、かすかな希望や不安が表現されているが、全編を貫くトーンは「哀感」と言えるだろう。せつないのだ。

 貧乏寺の経営を助けるために、先代から引き継がれた密約を遵守しようとする大黒の恐れと期待。両親の残したラブホテルを整理し、新たな人生に向かおうとする雅代。余裕のない生活の中で、ふとしたきっかけで夫とラブホテルに行き、そこに潤いを見つける恵。親に捨てられた教え子まりあとの偶然の道行きから、最終的に不可逆的な旅へと向かう高校教師の野島。苦しい生活をものともせずに働き続け、ひたすら我が子を信じる、ホテル清掃員のミコ。

 どこにいてもおかしくないような人々なのだが、桜木は彼らを冷徹な分析者の目で見るのではなく、まるで同伴者のようにそっと寄り添っている。自分にとって大切な人々のように、優しい親近感を顕現させている。そこにこの作品の個性があり、命がある。かつて遠藤周作は『沈黙』において、万能の父性神ではなく、無力ではあるが常に側にいてくれる同伴者としてのイエスを描いた。この同伴者としての作家の意識が感じられるために『ホテルローヤル』は哀感に満ちた、側に置いておきたい、読者との距離感の近い作品となっている。


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