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『わたしのリハビリ闘争――最弱者の生存権は守られたか』多田富雄(青土社)

私のリハビリ闘争――再弱者の生存権は守られたか――

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「翻弄される「リハビリテーション」」

著者の多田富雄さんは、1971年の「サプレッサーT細胞」の発見で有名な免疫学者です。2001年5月、旅先の金沢で、脳梗塞の発作が彼を襲います。右半身麻痺の他に、重度の嚥下障害(「えんげしょうがい」…飲み込みの障害)と構音障害(言葉を発することの障害)が残ります。理学療法士言語聴覚士のもとで、週に2回のリハビリテーションに通った結果、目立った回復は望めないながらも、杖をついての歩行、車椅子からベッドへの移動、入浴、そして左手でパソコンを打つことなどを獲得してゆきます。



ところが、2006年3月、診療報酬改定により、それまでは必要に応じて保険診療ができたリバビリテーションが、一部の疾患を除いて発症後180日までに制限される、という通達が出されました。著者は、これからはリハビリが受けられなくなる、と医師に告げられます。

私のような脳血管疾患による後遺症は六ヶ月程度で良くなるとは限らない。麻痺した体は、定期的にリハビリ専門家による訓練とメインテナンスをしなければ動けなくなってしまう。障害によっては、180日はおろか、何年もリハビリを続けなくては日常生活が続けられないものもある。中止すれば、お定まりの寝たきり老人になるほかはない。(『わたしのリハビリ闘争』49ページ)

多田さんは、診療報酬改訂施行1週間後の4月8日、朝日新聞に「リハビリ中止は死の宣告」という投稿文を発表します。その後、同志との署名活動をはじめとする反対運動を展開してゆきます。この本はそうした活動の一環としてさまざまなところで発表された文章を集め、これまでの総括を行ったものです。

反対運動は功を奏し、診療報酬改定は軌道修正を余議なくされます。しかし、これにはからくりがあると著者は述べます。2007年3月30日に公表された再改定の内容をよくみると、例えば、リハビリテーションの日数が多くなると保険で医療機関に支払われる医療費が減額される「逓減制」がしかれています。また、維持期のリハビリが認められるのは、要支援状態にある40歳未満の人に限られています。さらに、医師は、診療報酬を継続的に請求するために、どこがどの程度改善したかを非常に細かく書類で報告しなければなりません。このように、極めて強い制限が付されているため、とりわけ高齢期のリハビリテーションを医療として継続してゆくのは実質的に非常に難しいというのです。

この本が教えてくれる事の顛末の背後にあるのは、「リハビリテーション」の社会的意味が未だに不安定な状態にある、ということだと思います。

そもそも、上限日数を設定する診療報酬改訂が公表される際、厚生労働省の「高齢者リハビリ研究会」で「効果が明らかでないリハビリが長期間にわたって行われている」という指摘があったということが言われ、マスメディアでもさかんにそのように書かれました。しかし、その後、「高齢者リハビリ研究会」の議事録には、そのような文言は載っていないことが分かりました(国会で追及された厚生労働省幹部は、議事録に残っていない研究会委員の「共通認識」だと説明しました)。

私が興味深く思うのは、研究会の議事録に載らないような言葉であるにもかかわらず、公的に出回ったという点です。それは、「このように理由を説明すれば、一般的な理解や共感を得られやすいだろう」というふうに、わかりやすさを当てにされたからだと考えられます。

「効果が明らかでない…」の「効果」として想定されているのは、どのようなものでしょうか。それは、あくまでも身体的な状態に関する客観的な評価であり、リハビリがどのような意味で本人にとっての生きる意味の供給源になっているのか、ということは含まれていないと考えられます。なぜなら、(先にも述べた)医師が診療報酬の継続的な請求のために報告しなければならない項目の内容をみると、機能的自立度評価法、基本的日常生活活用度、関節の可動域、歩行速度、等々、身体的な指標を専門家が客観的にみて評価したものに限定される傾向がみてとれるからです。これでは、そうした目に見える指標に変化がなければ、たとえリハビリが生きるよすがになっていても、それを掬い取るものはないということになります。

この「効果」の語られ方が意味するものは、いわゆる健常な人間の十全な身体機能とわれわれがイメージするものを基準にして、そこにどれほど近づけるか、という尺度でしか「リハビリテーション」の価値を測れない発想の貧困から、残念ながら私たちはまだそれほど抜け出せていない、ということでしょう。「回復の物語(the restitution narrative)」(A.フランクが提出した概念。2006年6月の当ブログ参照)が社会においてスタンダードなものとして好まれる格好の一例といえましょう。このようであるからこそ、「リハビリテーション」はちょっとした制度変革の嵐にすぐに飲み込まれてしまいやすい、不安定で寄る辺ないものになってしまうのです。

実は、2007年3月に診療報酬改定の見直しが報じられたときは、私も「とりあえずよかった、ということかな」などと漫然と思っていました。しかし、問題は決して片付いてはいなかったのだということを、この本ははっきりと教えてくれます。是非読むべき一冊です。

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