『生きる力――神経難病ALS患者たちからのメッセージ』「生きる力」編集委員会編(岩波書店)
「患者の語りに導かれてALSの世界へ」
ALSは、近年、ケアと生き方に関する関心と情熱が高まっている領域の一つです。ALS(筋萎縮性側索硬化症 Amyotrophic Lateral Sclerosis)というのは、神経細胞(脊髄の側索および脊髄前角細胞)の変性によって筋肉の動きが低下していく進行性の病気です。神経細胞変性の機序は未だに不明で、進行とともに、上肢および下肢の動きの他、構音(こうおん=しゃべること)、嚥下(えんげ=飲み込み)、そして呼吸も困難になっていきます。つまり、しゃべったり、食べたり、息をしたりといった私たちが当然できると思っているすべての基本的な動きができなくなっていく病気なのです。(ただし、症状の現れ方やスピードは人によってまちまちです。)
このように言うと、まったくなすすべのない絶望的な病気と思われるかもしれません。しかし、この病気を治してしまう方法は相変わらず現れないものの、病気によってできなくなることを補って比較的長期にわたる生活を可能にする技術が発達してきています。例えば、わずかな筋肉の動きから操作できるコミュニケーション機器、胃ろう、人工呼吸器などです。これらの機器を使って生を営む人は、既に1970年代ごろからいましたが、1980年代以降、その数を徐々に伸ばしてきているようです。とはいえ、自分がALSであることを知ったショックから、そうした技術を使って生きようと思うようになるまでの道のりは、容易なものではないでしょう。
2006年、ALSを持つ人のセルフヘルプ・グループである日本ALS協会の有志たちが、『生きる力』というタイトルの自己物語集を出版しました。長短あわせて35編が収められており、病いのプロセスにおける苦悩、人工呼吸器を付けるようになるまでの経過、新しく見つけた生きがいなどが語られています。どの作品にも、その人なりの生きるスタイルのようなものが感じられ、思わず引き込まれてしまいます。
改めて人として前向きに生きるために必要なこととして、次のようなことを実感している。第一に、人と会うこと。ありのままの自分を人に見せることができること、つまり元気なころとは比べようのない重い障害をもつ自分を人に見せることができること。(中略)
第二に、人生の目標を根本から書き直すこと。自己の歴史の大転換をはかる、いわば自己の物語を書き直すこと。もちろん何回も書き直しを余儀なくされるとしても。
第三に、患者にできることは何かを自分なりに模索すること。それは人と人との懸け橋になること。(中略)具体的には、医療、看護、介護、そしてボランティアの人びとをつなぐ懸け橋。もう一つは患者の存在、生きることが家族の生きる力をつくり、とてつもない困難に立ち向かうその姿が人々を励ましていることを知ること。(佐々木公一「前を向いて生きる」より、『生きる力』89ページ)
セルフヘルプ・グループにおける変化と支え合いについて、これほどエッセンスを凝縮したような文章に、私はこれまで出会ったことがありません。
一方で、どうしてこのような自己物語集が出版されなければならないのか、という見方もできます。もし「自己の物語を書き直すこと」が誰にも簡単にできることであれば、このような文集を作ろうという動きはおこらないでしょう。むしろ、それが困難な人が多いからこそ、メッセージを届けようとするわけです。病気を知ったショックから立ち直れない人や、進行する症状に絶望してしまう人、あるいは周囲の迷惑になるぐらいなら生きたくないと思う人もいます。逆説的ではありますが、こうした自己物語が目立つ形で存在することは、人々の生き難さと、それを支えるための社会的体制(医療や介護の供給)の不備を暗示しているのです。
ALSは人間の苦しみと社会的な問題とが複雑に絡まりあいながら山積している領域です。だからこそ、こうした自己物語集によって少しでも状況を変えていきたい、そうした願いがこの「生きる力」というタイトルに表れているように思います。そのような動きは、それ自体が面白いと思いますし、私たちはそこから多くのものを学べるのではないかとも思います。学びの入り口として、実際にALSを経験した人ばかりでなく、すべての人にお勧めできる一冊です。