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『ケア その思想と実践3 ケアされること』上野千鶴子編(岩波書店)

ケア その思想と実践3

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「ケアされる側の作法とは」

タイトルに「ケア」がつくと、売れるといわれる。


というか、ここのところ上野千鶴子さんと交流があるALS患者の橋本みさおも、本書に一章を寄せている。

それで、こないだ橋本の独居を尋ねた折に、玄関脇の四畳半にオレンジ色の表紙の本が何冊か積まれていたので一冊もらってきた。

パラっとめくって、橋本のいつもの元気な文体に目が留まった。こうして活字になるとりっぱなものだ。これなら、健常者も障害者もわからないが、橋本の執筆作業はいつもベッドの上。両足を伸ばしてクロスさせ、上になった足の中指で、スイッチを操作して、ベッド脇のパソコンに入力している。スイッチはタッチセンサーなので、かすかに触れると反応して、パソコン画面のカーソルが縦横に動くのである。

 そうやって、一文字一文字、何日もかけて言葉を確定し入力していく。すると、言葉がつながり、文になり、やがてはひとつの章になる。これが「意思伝達装置」の使い方である。

 患者の間では、命の次に大事と言われるほど重宝しているが、進行性疾患なので、やがてはタッチセンサーのスイッチも押せなくなる時が来る。それが30年後かもしれないし、3年後かもしれない。神経性疾患は個人差があり個別のニーズがまったく違うので、人のふり見て我がふり治せという格言は使えないが、橋本も本書の中で、この「個別性」については、けっこうしつこく言及している。

 それを、私は個性といいかえてもいいと思うのだが、橋本操のキャラには、ALSによってもたらされた部分と、生来のものとの両方があって、それが分かちがたく混在していているところが、魅力という気がする。ここまで付き合いが長く、そして深くなると、ALSが彼女の個性の一部という気がしてくるのも当然だ。ALSの発症と独居によってもたらされたものが、橋本の希少な人格、キャラを決定したのだ。そして、それ以外のキャラだったら、こんなに親しくはならなかっただろう。私は彼女の実際の介護をしたことは全くないが、お互いにALSの当事者である。だから、互いに一般人にはわからない、当事者特有の問題を抱えているので、ケアし合っていると思っている。

 他の執筆者も障害の当事者であるが、編者の上野千鶴子さんの文章はいつものように歯切れがよい。そして、ケアされる側に蓄積された経験に目を向けている。ケアする側と、ケアされる側の非対称性については、以前から多くを論じてきた人だが、ここでも介護される側の技法や作法として、『おひとりさまの老後』で掲げた十か条を再録している。これには、苦笑いできる箇所もあって、たとえば(5)相手が受けいれられやすい言葉を選ぶ。確かに、患者に介護者を手玉に取るように扱って欲しいと願わない日はない。介護される側も相当気を使わないと、この関係は成り立たないのだ。

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 ここから、日記モードになる。10月7日、千葉で長期療養中の男性ALS患者が、もし意思伝達ができなくなったら、呼吸器を外して欲しいと文面にしたため、主治医のいる亀田病院に提出した。

 このことが、NHKの朝のニュースで流れ、内輪ではけっこうな話題になって、ALS協会のメーリングリストでは、患者同士が死ぬ権利をめぐってしばらく激論になった。

 確かに、意思伝達装置が命の次に大事だと主張している人たちだから、それができなくなるばかりか、文字盤さえ使えなくなったとしたら・・。そう考えると恐怖であろう。正直に、そんな生活は怖いと言って、経験したことのない死を選ぶほうがましという患者がいたとしても、それはそれで、私は患者の死にたい気持ちだけは、認めようと思っている。

 ただし、ここにもあるように、「ケアをする権利」というものがある。そう。私たちはまさに、この一点に心を寄せて、何年も、まったく動かぬ者の介助を自分の自宅でしてきているのだ。

それも、文字のひとつひとつを拾う介助から医療的ケアまで、幅広く網羅してきた。並みの努力ではなかったはずだ。だから、あえて言わせてもらうのなら、24時間べったりと様々なケアを受けて共に生きてきて、それでもなおかつ、いずれは自分の命を勝手に始末するなどということは、到底許されない傲慢だと私は思う。

 それに、結局、患者は自分では死ぬこともできないのだから、ここにも「死の介助」という介助する側の問題が生じてしまうではないか。

「死ぬ権利など障害者の権利にはない。」そう言って、私がぷんぷん怒っていると、

「死にたい人は死になさい」と橋本はあっさりと言う。でも、それは呼吸器を着ける前。介護が本格化する前に自分で決定しろという意味だ。

 人工呼吸器を24時間装着し、自分との境界がわからないほどにつなぎとめてきた家族や介護者を残して死ぬというのだが、これを他方の患者たちは身勝手だともいうのである。

 こうして、患者同士の議論は尽きない。

・・・これもケアをめぐる問題だし、この際だから、どんどんやってください。・・・

この、「死を介助する義務」については、いずれ上野さんに考えてもらいたいテーマである。

内心、在宅のドクターたちが、そんな介助が癖になってしまったら、怖いと思うけどな。


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