『よくわかる国際社会学』樽本英樹(ミネルヴァ書房)
「「もうあと少し…」の知的好奇心に応える入門書」
世界地図や地球儀をみると、世界中の陸地が国境と線で区切られ、必ずどこかの「国」に属するようになっています。また、それぞれの領域に住んでいる人は「~人」という国民としてとらえられています。こういうと当たり前のように見えるのですが、しかし、こうした観念(「国民国家」と呼ばれます)は歴史を通じてできたものであることが知られています。また、こんにちでは、国境を超えるような人やお金の動き、あるいは国境内でのさまざまな文化の混合や摩擦はますます目立つようになっており、もはや社会を「国家とその集まり」として見るだけではまったく物足りなくなってきています。そうした諸現象を扱う社会学の専門領域は「国際社会学」と呼ばれます。この本は、その国際社会学に現われた読み応えのある優れた入門書です。
著者の樽本英樹氏は、1965年生まれの社会学者です(現在、北海道大学に所属)。私にとっては、大学院の先輩にあたりますが、これまでお話ししていて随所に感じられた氏の学術研究への意識の高さが、この本の端々から見受けられます。つまり「よくわかる」というタイトルが示すように平易で読みやすい文体を心がけながらも、学術的な質は決して落とすまい、という著者の強い意思が感じられるのです。
たとえば、国際社会学には「エスニシティ」や「同化」、「編入」、「多文化主義」、「社会的結合」といった言葉(基礎概念)があります。これに関連して、日本でも最近「共生」という言葉をよく耳にするようになっていると思います。初学者(私もですが)はまず、こうした言葉の意味を端的に知りたいと思うでしょう。ところが、こうした言葉は、さまざまな批判を浴びて意味が変化していたり、人によって異なる意味で使われていたり、それでいておおよそ意味が通じるだろう言葉として何となく共有されている、といったことが珍しくないのです。しかし、この本は、そうした言葉の意味に対する疑問を正面から受け止めようとしています。つまり、その言葉はいつごろから誰がどのように使うようになったものか、これまでどのような研究者たちがその言葉とともにどのような主張をしてきたのか、という学説上の流れを解説することを通して、可能な限り精確に言葉の意味を説明しようとする姿勢が見られるのです。そのうえで、紹介されたさまざまな学説の特色や問題点、今後の研究にとって注意すべきポイントなどが、著者の視点から踏み込んで書かれており、非常に参考になります。
多くの入門者用テキストは、読者として大学の学部生、特に1~2年生を意識しています。そうした社会学をまったく知らない学生の興味をひこうとするには、とにかく分かりやすい平易な文体でなければいけません。もちろん、その目的を達成していれば十分魅力的であるといえるのですが、その一方で、学説上の流れに関する細かいことなどは「こみいった話だから」と省略されてしまったり、背景に退いてしまいがちな傾向も生じます。そのようなテキストばかりにふれていると、社会学をちょっとは知っている人(たぶん、私のような専門領域は違うが関心はあるという人や、卒業論文の参考文献を求めている学生など)の中には「読みやすいんだけど、もうあと少し背景的な知識もほしい」という物足りなさを感じる人もいるのではないかと思います。ところが、この「もうあと少し…」に対応できる入門者用テキストは、現在でも決して層は厚くないように見えます。
この本には、そうした層の薄い中に位置づけられるユニークさがあるように思います。分量は多いですが、トピックごとに2~6ページの読み切りの形になっているので、まず自分に関心のあるトピックから拾い読みをするところから始めることもできます。上に述べた基礎概念だけでなく、日本や韓国、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダといった国々の移民政策や現状も紹介されており、それらを読んでいると、移民に関する実にさまざまなスタンスがあること、それぞれが問題を抱えていて事が簡単ではない様子がよくうかがえます。
「もうあと少し…」、そんな知的好奇心を持つ方にお勧めする一冊です。