『質的データの2次分析――イギリスの格差拡大プロセスの分析視角――』武田尚子(ハーベスト社)
「2次分析を通してみえる魅力的な世界」
社会学の(おそらく他の学問分野でも)質的研究においては、自分自身でデータを<もぎとってくる>ことの大切さが、しばしば言われます。実際、苦労してフィールドノーツを書き溜めたり、インタヴューの録音を文字に起こしたり、そうしたデータを何度も読み返したりする中で、その中から理論的に意味のある部分が<見えてくる>感覚は、まさに質的研究の醍醐味といえるでしょう。ですから、私は本当にそのことが大事だと思うし、学生を指導するときにもそのような方針をとっています。
その一方で、せっかく苦労して集めたデータのうち大部分が成果の中に生かされることなく眠ってしまうのも、避けがたいことです。あらゆる角度から検討し吟味すれば意味があるかもしれない部分も、そのときの研究者の理論的関心やキャパシティとの関係で、いわば<お蔵入り>になってしまいやすいのです。そうしたデータを生かすために、データを保管・公開して、後で行われる研究(2次分析)に供する試みがあります。
2次分析を推進するには、データを保管し管理する公的なアーカイブが必要です。しかし、日本では、質的研究の場合、まだそうした基盤はほとんど整っていません。この書では、先進地であるイギリスのデータを使った2次分析の試みが紹介されています。オリジナルの調査は、1980~1986年にレイ・パールらがイングランド南東部(ロンドンから東に60kmほどのメドウェイ川河口部にあるシェピー島)で行ったワーキング・クラス研究です。パールが注目したことのひとつは、「インフォーマル・ワーク」(自宅・親族宅のメンテナンスや、近隣からの頼まれ仕事など)です。失業などでフォーマル・ワークから排除された人は、インフォーマル・ワークを活発に行うことによって生計をたてるのではないかと予想されました。しかし、調査の結果、失業した貧困世帯は、インフォーマル・ワークのための資材や機材を購入できないとか、失業給付金をもらうための制限事項にひっかかってしまうといった理由によって、せいぜい収益の低いインフォーマル・ワークにしかつけず、その結果貧困から抜け出すことができないということがわかってきました。
この調査には、「渡り」(ジプシー)の家に生まれ厳しい環境を生き抜いてきた女性ローズ・フォルダー(1912年生まれ)と、彼女の子供や孫たちとに行われたインタヴューが含まれています。特に、子供たち(第二世代)10人きょうだいのうち8人の世帯にインタヴューを行った網羅性は、たいへん珍しく貴重といえます。それに対して、この本の著者である武田さんは、このきょうだいたちに関するデータが必ずしも成果として十分に活かされていない点に注目し、母親の生き方を継承するような生き方を選ぶリンダ(1944年生まれ)と、上昇志向の強い妹マリリン(1947年生まれ)の語りを対比する、というユニークな試みを行っています。
上昇志向が強いマリリンは、時機をつかんで安定した仕事を手に入れ、ワーキング・クラスの集住地域とは離れたミドル・クラスの居住地に移ります。そんなマリリンが語る若いころは、差別や偏見を受けてくやしい思いをした悲しい思い出の時です。それだけでなく、彼女は、自分が育った家族を「ラフ」な人たちだといって批判します。ある時、マリリンは幼い子供をリンダに預けました。リンダはマリリンの子供を畑の収穫作業に連れていきます。リンダは、畑仕事が大好きで、幼いころ母親に連れられて畑に出ていちご摘みをしたことや、いちごやさくらんぼを箱に詰めた思い出などをなつかしく語っています。彼女にとって畑は、同じように子育てをしている仲間にも会えるし、休憩中におむつやミルクの世話もできる、柔軟で子育てに適した環境です。しかし、マリリンにとっては、そのようなやり方は、子育てと労働をいっしょくたにする「ラフ」なやり方にほかなりませんでした。マリリンは、子供を親の労働の場とは切り離して落ち着いた環境においてやりたいと思っていたのです。マリリンは娘を畑に連れて行ってほしくないと言い、リンダはそれならもう面倒はみないと言って、二人はけんかになります。このようにして、マリリンはリンダや母親と疎遠になっていき、逆にリンダは母親とますます緊密なつながりを持つようになります。たとえば、リンダは、クリスマスのころにガス・電気の支払いができなくなってしまう母親に洗濯を頼み、毎週5ポンドを支払っていました(インフォーマル・ワーク)。しかしこのことは、厳しい経済状態にあるリンダにとっては、乏しい資源を分け合い、貧困の状態からますます脱しにくくなることを意味しています。
このような分析から見えてくるのは、貧困世帯にとどまるということは、オリジナルの調査が明らかにした経済的側面や福祉制度の問題だけでなく、人々の内面的な意味世界にまでかかわっている、ということだと思います。マリリンの上昇志向は、母親流の生活の仕方を「ラフ」なものとする見方によって支えられています。逆に「ラフ」であることに無頓着なリンダは、上昇志向には駆り立てられにくいと考えられます。そして、母親とますます緊密になることは、結果として乏しい資源を分け合うことにもつながります。このように、貧困であり続けるということは複合的で根が深いものだ、ということがわかります。
オリジナルの調査では十分に尽くされていない分析を加えることで、さらに豊かな知見が導き出される可能性があります。もちろん、これには、オリジナルの調査がどのような問題関心でどのように行われ、どこまでのことを明らかにしたのかを丹念に調べることが前提となるでしょう。この本からは、そうしたオリジナルの調査への大きな尊敬の念が感じられ、レイ・パールが研究にかけたさまざまな思いが彷彿とよみがえってきます。その結果、2次分析の意義のみならず、質的研究の魅力そのものも伝える一冊になっているようにも思えるのです。