『困っているひと』大野更紗(ポプラ社)
「ユーモアあふれるエッセーから社会を垣間見る」
今回は、いま話題の難病体験記を取り上げてみたいと思います。著者の大野更紗さんは1984年生まれ。上智大学フランス語学科に進学後、ビルマ(ミャンマー)難民との出会いから、民主化運動や人権問題に関心を寄せるようになり、ビルマ研究者を志すようになります。しかし、大学院に進学した2008年夏、彼女の体に異変がおこります。正体不明の痛みと腫れ、発熱などに悩まされ、病院を転々とし、検査に次ぐ検査を受けた末に約1年かかって得た診断は、「皮膚筋炎」(「膠原病」と総称されるもののひとつで、本来は<外敵>を攻撃するはずの免疫が異常をおこして自分自身の皮膚や筋肉に害を及ぼす)と、「筋膜炎脂肪織炎症候群」(筋肉を包む筋膜の炎症と皮下脂肪の融解壊死などがおこる病気)との併発、というものでした。この本では、著者が何度となく絶望の淵に落ちながらも、最後には希望と不安をもって病院を出て自立的に暮らすようになるまでのプロセスを、ユーモアあふれる筆致で綴っています。
多くの読者が引きつけられるのが、この「ユーモア」のようです。そこに、病いの苦しみを笑い飛ばす著者の強さを感じることも、あるいは逆に、ユーモアをもって語られる痛みや絶望の深さに改めて思いをはせることもできるでしょう。実は、私の知り合いの中にも、大野さんのようにテンションの高いユーモアを用いて語るタイプの人が何人かいます(難病の人にも、そうでない人にも、思いあたる人物がいます)。よく聞くと深刻な内容のはずなのに、語り方が面白いので、聞いていて噴き出してしまったり、全体的にほのぼのとしてしまう、そんな語り口が共通しています。これには若さゆえのエネルギーという要因もあるかもしれませんが(私の知る語り手たちもたいてい20~40代)、それだけではないかもしれません。このブログで以前取り上げたノ-マン・カズンズ(『笑いと治癒力』2006年08月25日)や、アナトール・ブロイヤード(『癌とたわむれて』2006年09月26日)は、強い信念と生きる意志、権威的な医療に対してものおじしない態度といったある種の英雄的な美徳を読者にアピールしますが、大野さんのような語り手はそうではなく、むしろそうした部分を前面に出しすぎずに読者との関係をとりむすびたい、すなわち、「立派ですねと褒められすぎるとかえって孤独を感じる」「だからどうすればよいかというのもわからないので、とりあえず一緒に笑っちゃってほしい」というような感性とスタイルをもっているように感じるのです。今後そのようなタイプの語り手は、もっと増えるかもしれません。
さて、このようにユーモアあふれる文体がこの本の大きな特徴であるのですが、しかしそこばかりが強調されて終わると、少しもったいないようにも思います。この本のもうひとつの魅力になっているのは、個人と社会制度との境界面が利用者の目線で詳細に記述されている点です。
たとえばこの本の中で、大野さんは2度(まだ継続的な医療が必要であるにもかかわらず)退院しています(本書135-138、193ページ)。これは、現在日本の病院のベッドが「一般病床」と「療養病床」とに分類されており(ただし「精神病床」などは別)、前者の「一般病床」には最初は高いが入院期間が長くなるにつれて低くなる出来高払いの診療報酬が、後者の「療養病床」には入院期間の長さには依存しないが包括払いの比較的低い診療報酬が設定されている、という事情にかかわっています。大野さんが入院していた病院は「一般病床」なので、彼女のような人が長期間にわたって入院し続けると平均在院日数を押し上げてしまい、病院の評価と経営の問題に結びついてしまいます。かといって患者を見捨てることもできない。そこでなされたのが、このように周期的に退院させるという方法なのだろうと思います。しかし、この「退院」は、大野さんが在宅療養に関心を抱く以前に病院側の主導で実行されたものであり、患者側のニーズとは、ずれています。
また、患者の生計を支える社会的支援制度についても興味深い記述がなされています。この本は、闘病プロセスにおいて患者にふりかかる経済的負担が相当なものであることを私たちに思い起こさせます。日本の社会では、国が指定した「特定疾患」については収入に応じて医療費助成が受けられ患者の負担が軽減される、という制度があります(マイケル・J・フォックス『ラッキーマン』2006年10月26日でもこれについて取り上げています)。大野さんの場合、「皮膚筋炎」の方は特定疾患として認められているため医療費助成を受けられましたが、もう一方の「筋膜炎脂肪織炎症候群」は特定疾患の中にまだ入っていません。つまり、珍しい病気は何でも「難病」として支援してもらえるというわけではなく、制度的支援対象としての「難病」として認められているものとそうでないものとがある、ということです。彼女の生計上の必要が切実であることがよく書かれているからこそ、もし彼女の診断に「皮膚筋炎」が入っていなかったら…、と思わずにはいられません。また、申請書類の煩雑さ(本書108ページ)に関する具体的な記述なども、考えさせられる内容です。
これらの他にも、障害福祉サービスに関する本書後半の記述も興味深いものです。そこでは、信頼する主治医とのギャップが浮上します。主治医の「自立」のイメージは、どうやら「(疾患の自己管理を含む)身辺的自立」と「経済的自立」に偏っているようで、支援制度の助けを得て生きることが「自立」の要素に入っている、ということを主治医はなかなか理解してくれません。そのような場合でも、サービスを利用するための必要条件である「意見書」を書く立場として医師の影響力は非常に大きい、ということに改めて気づかされます。
以上に挙げた諸問題は、大野さんが初めて「発見」したものではありません。しかし、ひとりの利用者としての目線で非常に具体的に書かれているために、「なるほど、やっぱりそういうことがあるのか」と納得して理解しやすいと思います。また、そのようにする方が、一般論として制度の限界や欠点を教えられるよりもインパクトがあり、「どのようにしてそういう不合理なことになってしまったのだろう?」といった社会への関心を呼び起こしやすいのではないでしょうか。したがって、この本は、単に稀少な難病体験を知るための一冊というよりも、苦しみをかかえる個人と社会制度との境界面へ私たちの関心を導く一冊として受け取られるべきなのではないかと思うのです。