『Winnyの技術』金子勇(アスキー)
昨年5月、ファイル共有ソフトWinnyの作者、金子勇氏が、京都府警により著作権侵害幇助容疑で逮捕され、起訴されるという事件が起きた。ソフトウェア作者が逮捕・起訴されるのは異例であり、ゆゆしき事態だが、その金子氏がこのほどWinnyの内部構造と開発の経緯を解説した『Winnyの技術』を出版した。
『Winnyの技術』は技術書という分類になるが、平明に書かれており、技術畑以外の読者にとっても興味深い内容を含んでいるので、ここでとりあげさせてもらうことにした。
本書の紹介にはいる前に、Winnyについて説明しておこう。
青空文庫のように、著作権の切れた文学作品を無償公開しているサイトがあるが、作品は中心となるコンピュータに集中して保存されており、読者はインターネット経由でそのコンピュータにアクセスし、作品をダウンロードする。それはちょうど国会図書館に本を閲覧にいくようなもので、利用者が増えれば窓口は混雑し、周辺の道路は渋滞することになる。
それに対して、Winnyのようなファイル共有ソフトは、本をもっている人同士が互いに貸し借りしあうようなもので、図書館そのものがないのだから、利用者が増えても混雑するということがない。
理屈はそうだが、そんなことが上手くいくのだろうか? 第一、ネットの海の中から、自分の必要とする本をもっている人をどうやって見つけるのだろうか?
Winnyはこの難問を巧みに解決しており、使いこんでいくにつれ、だんだんと目当ての作品が見つかりやすくなるので、生き物のように感じる人もいる。インターネット上に形成されたWinnyのネットワークには、現在も30万人以上が参加しているが、これだけ大規模なファイル共有ネットワークが2年以上も維持されている例は世界的に稀である。金子氏がWinnyの開発と改良でつかんだノウハウが貴重なものであることはいうまでもない。
問題はWinnyは匿名性が高く、最初の提供者が誰かわからない点である。一度、誰かがWinnyネットワークにファイルを提供すると、そのコピーがあちこちに作られ、Winnyネットワークを流れつづけることになる。だから、Winnyネットワークにファイルを提供することを「放流する」という。
わかりやすくするために本を例にしたが、Winnyネットワークを流れているファイルは本だけではない。音楽、映画、画像など多種多様で、最初に放流した人間が特定しにくいことから、著作権を侵害したものや、猥褻に類するものがかなりの割合を占めている。
また、Winnyを狙ったウィルスが蔓延しており、感染すると、利用者のパソコンに保存されているファイルを勝手に放流するというイタズラを働く。個人の秘め事写真くらいならご愛敬だが、京都府警の捜査資料や自衛隊の部内秘文書、病院のカルテ、保険会社の病歴ファイル、原発の点検資料までもが流出するという事件が起きている。困ったことに、一度放流したファイルを消去することは不可能に近い。
そうした機密情報をあつかう立場の人間が職場のパソコンでWinnyを使ったり、私物のパソコンに機密情報を保存し自宅に持ち帰るといったルール違反をやっていたから、こういうことが起こったのだが、ニュースになっているのに、依然として事件はつづいている。
さて、『Winnyの技術』であるが、前半の原理篇と、後半の実装篇にわかれている。
前半の原理篇はファイル共有ソフトの仕組と歴史、Winnyの開発コンセプトをわかりやすく語っており、いい意味で教科書的である。
後半の実装篇はWinnyの開発ストーリーである。実装篇とはいっても、ソースコード(ソフトウェアの設計図)が出てくるわけではなく、開発と改良でぶつかったさまざまな問題が具体的に語られており、素人が読んでもおもしろい(プロトコルについては付録で解説されている)。金子氏はWinnyの設計段階で安定して動くかシミュレーションをおこなったが、実際に公開し、Winnyネットワークが形成されていくと、想定外の問題がつぎつぎと起こり、改良に忙殺されたという。ファイル共有ソフトは実際に大規模ネットワークを作らなくては、開発できないということがよくわかる。
Winnyの暗号についてはこれまでさまざまな憶測が重ねられてきた。過大な評価がある一方、警察にソースコードを押収されたから、もはや匿名性は失われたという意見もあった。金子氏によれば、Winnyの暗号は最初から限定されたものであり、匿名性は暗号とは別の仕組で担保されていた。
準備中だったWinny2には、一度放流したファイルを消去する機能をつける予定だったというが、金子氏の逮捕・起訴によって、Winny2の開発は凍結されてしまった。ウィルスに対しても、Winnyは無防備なまま放置されている。Winnyを強権で禁止するならともかく、金子氏の逮捕・起訴は危険な事態をまねいている。
最後に一言。作者の意図はどうあれ、Winnyが現行の著作権制度をゆるがすものであることは間違いない。しかし、金子氏の著作権に対する見解は裁判の争点に直接かかわるためか、本書ではまったくふれられていない。金子氏はしかるべき時期に、著作権に対する見解をあきらかにすべきだろう。