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『ジョン・ボールの夢』 ウィリアム・モリス (晶文社)

ジョン・ボールの夢

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 1381年の英国の農民蜂起を描いたウィリアム・モリスの歴史ロマンスである。

 この蜂起は日本では「ワット・タイラーの乱」として知られているが、人頭税増税に怒ったエセックスとケントの農民がロンドンに押し寄せ、監獄や役所を焼き討ちし、政府高官を処刑して国王に農奴制の廃止を迫るという、英国をゆるがす大事件だった。

 最後は鎮圧され、一揆の指導者たちは戦死したり、処刑されてしまうが、モリスが主人公に選んだのはジョン・ボールという下級司祭である。

 ジョン・ボールは王政を批判する説教をくりかえしたかどで監獄にいれられていたが、一揆勢によって解放され、指導者の一人となった。

 モリスはジョン・ボール解放から三日目の一昼夜に焦点をあわせ、彼の説教、国王軍との小戦闘と一揆勢側の勝利、翌朝、ロンドンに向けて出発する一揆勢を描いている。

 通常の歴史物語と異なるのは、語り手が14世紀へタイムスリップしたモリスの同時代人だということだ。ジョン・ボールの説教と一時的な勝利は、悲劇的な最期を知っている者の視点で語られるだけでなく、皆が寝静まった深夜、彼はジョン・ボールに請われるまま、一揆の結末と400年間の歴史の流れを伝えることになる。

 この作品は、昔、未来社から出た翻訳で読んだが、翻訳がぎくしゃくして、あまりおもしろくなかった。未来社版から、ジョン・ボールの説教に民衆が感動する場面を引用してみる。

 彼はちょっと話をとぎらせた。すでに彼の声は弱まり始めていたが、空は晴れわたり、初夏の夕暮はやさしく静かで、民衆も完璧の沈黙を守っていたので、一言一言が効果的だった。話を止めると彼は群衆の方へ眼を移した。それまで彼は、すばらくの間、夏の夕暮の青い遠景をはるかに眺めやっていたのだが、今や彼の親切げな眼は、目の前の群衆の中に珍奇なる光景が展開しているのを見た。涙を流すものが少なからず出て来ていたからである。黒いあご髭を生やしながらおおぴらに泣く者もいたが、多くは恥ずかしがって自分の深い感動を他人に知られたくなく思っているような表情を見せていた。それはいたく感動した時のこの民族のいつもの習性だったのである。わたしはわきに立っているウィル・グリーンを見た。彼の右手はあまりにきつく弓をつかんでいるので指の関節が白くなっていた。彼は前方をまっすぐ凝視していた。涙が両眼に溢れ、大きな鼻を伝って流れ落ちた。彼の意志ではなかったのだろう。

 「珍奇なる光景」は原文では curious sight となっている。武骨な男たちが説教に感動しているさまをあらわした表現だが、こういう場面を「珍奇なる」と訳すのは強すぎて、興がそがれる。それ以外にもひっかかる表現があり、訳語の選び方に疑問が残る。

 今回、晶文社の「ウィリアム・モリス・コレクション」で出た横山千晶訳で読み直したが、すばらしい日本語になっていて、面目を一新していた。

 同じ箇所を新訳で引いてみる。

 彼はちょっと言葉を切った。実際すでに彼の声はかすれかけていた。しかし、空気は澄みわたり、夏の夕べはじつにやさしくおだやかで、人々は水を打ったように静かだったので、一言一言が胸にしみてくるのだった。彼は口をつぐむと視線を群衆に向けた。それまで、しばらくのあいだ、青く広がる夏空のかなたを眺めていたのだが、いま彼のやさしい視線は、群衆のあいだで展開する奇妙な光景をとらえていた。すでに涙で目をくもらせている者が少なくなかった。黒いあごひげに似合わず大声で泣いている者もいた。いずれにせよ、彼らイングランドの屈強な人々が強く心を揺り動かされたときによく見られることだが、どの顔も恥じいり、どれほど深く感動しているか他人に悟られたくないといった面もちだった。私はかたわらのウィル・グリーンを見た。彼は右手で弓をあまりに堅く握りしめていたので、指の関節がすっかり血の気を失っていた。その目はまっすぐ前方を凝視し、涙が両眼からあふれだし、大きな鼻をつたわって流れ落ちていた。その涙は彼の意志とは無関係であるかのようだった。

 情感のうねりがまっすぐ伝わってくる名文である。新訳がすべていいわけではないが、本書に関する限り、新訳の方が圧倒的にすぐれていると思う。

 さて、問題は勝利の宴の後である。語り手はエセックスの情勢を伝えに来た修道士ということになっていたが、ジョン・ボールは彼が尋常の人間ではないと見抜き、皆が寝静まった深夜、教会堂に彼を呼んで、400年後の未来から見た蜂起の意義とその後の歴史の流れを聞くのであるが、これが今となっては時代遅れの唯物史観のレクチャーなのだ。

 中年になって社会主義に目覚めたモリスは『資本論』をにわか勉強し、その成果を使ったわけだが、ここが作品の唯一の傷となっている。モリスの社会主義は手仕事の復権や、エコロジー的な発想の部分は今でも新鮮であり、現代性をもつが、古くなってしまった部分もあるのである。

 しかし、友愛を歌いあげた部分は感動的であり、読むに値する。モリスの作品は古典となったといえよう。

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