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『信長は謀略で殺されたのか』 鈴木眞哉&藤本正行 (洋泉社)

信長は謀略で殺されたのか

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 本能寺の変をあつかった本やテレビ番組は夥しい数にのぼるが、その多くは明智光秀の謀反の背後には共犯者ないし別の真犯人がいるという陰謀説をとっている。近年の信長人気の高まりとともに、陰謀説はいよいよ花盛りであるが、本書はそうした陰謀説を一網打尽にして、斬って棄てた本である。

 著者の鈴木・藤本両氏は先に『偽書『武功夜話』の研究』を上梓している。『武功夜話』とは1959年の伊勢湾台風で崩れた愛知県の旧家の土蔵で発見されたと称する古文書群だが、保存状態がきわめて悪いという理由で一部を除き外部の人間には見せず、本文の写真版すら公開していない。刊本に載っているのは一族の吉田蒼生雄氏による読み下し文である(吉田蒼生雄氏は歴史の専門家でも古文書の専門家でもない)。

 オリジナルを出していないという点からして怪しげだが、信長や秀吉の秘話が小説的に描かれている上に、朝日新聞NHKが御墨つきをあたえたことから世間の注目を集めた。遠藤周作『男の一生』、津本陽『下天は夢か』、NHK大河ドラマになった堺屋太一『秀吉』等々、『武功夜話』をもとに書かれた作品は枚挙にいとまがない。

 同書は『武功夜話』を学問的に検討した最初の本と思われるが、用語・文体・形式・内容の両面から問題点をあらいだした後、墨俣一夜城の条を検討している。全四巻に補巻まである中で墨俣一夜城をとりあげたのはNHKの歴史番組で大々的に紹介されよく知られているからだろう。

 『武功夜話』では中洲の真ん中に東西120間、南北60間の砦を建てたことになっているが、史実では中洲の端に作り、陸続きを塀で遮断する構造になっていた。もし『武功夜話』のように長方形の砦を作ったとすると、四方に防壁と堀を巡らせたことになる。それでは工事が大変だし、四方向から敵が来るので守るのも大変である。船着き場と砦が離れているので、敵に囲まれたら補給ができなくなるという致命的な欠陥もある。通常、塀際の土塁の上に建てる櫓が敷地の中央にあるのも不合理だ。『武功夜話』の一夜城は実際の合戦を知らない人間が空想ででっち上げた代物なのである。

 『武功夜話』は同書によってとどめを刺されたといってよい。オリジナルが公開されていないので成立過程については断定を避けているが、偽書が盛んに作られた江戸時代後期に『武功夜話』の原型になる文書が創作され、現代においてさらに潤色されたという推定は説得力がある。

 さて、『信長は謀略で殺されたのか』であるが、本書は二部にわかれる。第一部で『信長公記』や「本城惣右衛門覚書」のような信憑性の高い史料をもとに、本能寺の変の実像を現在わかっている範囲で記述し、第二部ではさまざまな陰謀説を紹介・検討して五つの共通点をあぶりだしている。

 第一部については簡単なものなので、やや不満が残る。信忠周辺の動向など、もっとわかっていることはあるのではないか。ただ、機密保持の点から共謀説がありえないという指摘はくつがえすのが難しい。このハードルを越えない限り、陰謀説は成立しない。

 第二部では夥しい陰謀説の中から、足利義昭黒幕説を提唱する藤田達生氏の『謎とき本能寺の変』と、朝廷黒幕説からイエズス会黒幕説に転じた立花京子氏の『信長と十字架』の二冊を選び検討している。

 批判だけを読んで判断するのは公平を欠くので二冊とも目を通してみたが、本書の批判はすべて当たっていると思う。

 『信長と十字架』は批判されているとおりのトンデモ本だったが、『謎とき本能寺の変』の前半は京都追放後の足利義昭の活動を紹介していておもしろかった。TVドラマなどでは都落ちした後の義昭は影が薄いが、室町幕府発祥の地である鞆の浦に幕府を開いて九州に影響力をおよぼよし、外交活動まで展開していた。義昭はバカ殿として描かれることが多いが、実際は二枚腰のしたたかな人物だったようである。

 これから陰謀説を提唱する人は本書があげた疑問点に答える必要があるだろう。

 なお、本筋とは関係ないが、陰謀説好きを日本人の特性と決めつけているのはおかしい。『ダ・ヴィンチ・コード』が世界的なベストセラーになったことでもわかるように、歴史に関心の高い国ほど陰謀説を楽しむ文化が育っているのである。

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