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『四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う』 ピート・デイヴィス (文春文庫)

四千万人を殺した戦慄のインフルエンザの正体を追う

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 1998年8月、北極圏に浮かぶノルウェイスピッツベルゲン島の共同墓地で、各国のマスコミが注視する中、永久凍土を掘りおこして7人の青年の凍りついた遺体が発掘された。青年たちは極北の島の炭鉱で働く炭坑夫だったが、1918年にスペイン・インフルエンザで死に、この地に葬られたのだった。

 80年前の遺体を掘りだすのはスペイン・インフルエンザのウィルスを採取し、塩基配列をつきとめるためだった。インフルエンザのウィルスがはじめて分離されたのは1933年であり、1918年当時はファイファー桿菌が病原体だと信じられていたから、パンデミックをおこしたのがどういうウィルスだったかわかっていなかった。今後予想される強毒型の新型インフルエンザにそなえるためには、これまでヒトに感染したインフルエンザのうち最も症状の激しかったスペイン・インフルエンザの遺伝子を調べる必要がある。

 同様の試みはアラスカでおこなわれたことがあったが、埋葬された場所が永久凍土ではなかったために遺体は融解と凍結をくりかえしており、遺伝子を採取することはできなかった。インフルエンザはRNAウィルスなので、簡単に損なわれてしまうのである。一方、スピッツベルゲン島は永久凍土の島なので、遺伝子が無傷で残っていると期待されていた。

 本書はこの1998年のウィルス採取プロジェクトを中心にした科学ドキュメントである。

 プロジェクトを率いるのはトロントの大学で地理学を教えるカーティス・ダンカンという女性で、彼女は学生時代にクロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』を読んで感銘を受け、いつかスペイン・インフルエンザのウィルスを発見したいと考えていた。徒手空拳プロジェクトをはじめた彼女は大物ウイルス学者や研究機関、大手製薬メーカーの後援をえて、五年目にしてようやく墓場の発掘にこぎつけたのだ。

 と紹介すると、『プロジェクトX』のような感動的な物語を期待するかもしれないが、このプロジェクトは問題がありすぎた。

 リーダーのカーティス・ダンカンは情熱の人だったが、プロジェクトが大きくなりすぎて彼女の能力を超えてしまった。カナダ人だけの仲良しグループだけの間は彼女でも仕切れたが、いろいろな国の研究者が参加し、国際的に名前が知られた大物がくわわってくると、未経験な彼女の手には負えなくなったのだ。地理学という畑違いの研究者であることも悪い方向に働いた。

 困ったことに、ダンカンは窮地に追い詰められると逆に我を張る性格だったらしい。すべてを自分で仕切るろうとするようになり、チームは何度も空中分解しそうになる。CDCが途中で降りたのも、彼女が原因だったらしい。

 運営がまずかった上に、いざ掘りだしてみると、プロジェクトの前提を覆すような事実が明らかになった。

 永久凍土といっても、すべてがカチカチに凍りついているわけではない。地表から一定の深さまでは「活動層」といって、夏に融け秋に凍るという融解凍結をくりかえしている。事前の地中レーダーの調査では遺体は活動層の下に埋まっているはずだったが、棺は活動層の中から出てきた。

 プロジェクトは失敗したのだろうか?

 インフルエンザ学に詳しい人なら、発掘した遺体からウィルスが採取されたことをご存知だろう。実はこの後どんでん返しが二つあるのである。それにはリンカーン大統領が設立した(!)アメリカの研究機関がからんでくる。アメリカの科学情報の蓄積はおそるべきである。

 ドキュメント部分は読み物としておもしろいが、本書の一番の読みどころは実はそこではない。ウィルス採取プロジェクトの重要性を読者に伝えるために、デイヴィスは最初の三章をついやして長い前書きを書いているが、この前書き部分が読ませるのである。

 まず、第一章では1997年5月に香港で起きたH5鳥インフルエンザ・ウィルスがヒトに感染し、死に至らせた事件を語っている。H5とH7は他の亜型と異なり、全身の細胞で増殖できる強毒型であり、家禽ペストとも呼ばれていたが、ヒトには絶対に感染しないと考えられていたので、ヒト・インフルエンザの研究者はH5ウィルスのための検査薬すらもっていなかった。そのためにウィルスの正体をつきとめるのに三ヶ月もかかっている。そして、正体が判明した後の研究者たちのうろたえぶり。背筋が寒くなった。

 最初のH5型の死者が5月に出たという点も注目である。8月にウィルスの正体がわかり、12月に香港のすべての家禽が殺処分にされるまで、さみだれ的に罹患者と死者が出つづけた。インフルエンザといっても、暖かくなれば大丈夫というわけではないのだ。

 第二章と第三章はスペイン・インフルエンザ早わかりである。第二章はクロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』の要約といってよく、第三章はクルスビー以後の研究成果を紹介している。クロスビーの本でも暗澹たる気持ちにさせられたが、実際はもっと悲惨だったようである。

 クロスビーはスペイン・インフルエンザの発生地をシカゴ近郊と考えていたが、本書によると現在では諸説があって結論は出ていないらしい。第一次大戦で若い男が出征して生まれた労働力不足をおぎなうために、中国人が数万人ヨーロッパに出稼ぎにきていたが、その彼らがウィルスを持ちこんだという説まであるそうである。鳥インフルエンザがヒト型に変わる揺籃地は中国南部という例が多かったが、スペイン・インフルエンザにもその可能性があったのである。

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