『A Computational Theory of Writing Systems』 Richard Sproat (Cambridge Univ Pr)
文字についてはいろいろな本を読んできたが、本書はきわめつけユニークな本である。わたしは文字コード問題から文字に興味をもった人間なので、"A Computational Theory of Writing Systems"(文字のコンピュータ理論)という表題を見て文字コードの本だろうと思って注文したが、予想ははずれた。
著者のスプロートはコンピュータによるテキスト読みあげシステムの研究者で、機械で読みあげるというプラグマティックな視点から文字を考察しているのである。
動いてなんぼの世界で仕事をしている人なので、表音文字 vs 表意文字(表語文字)の二分法などは最初から眼中にない。快刀乱麻を断つというか、ズバリ、ズバリと言い切る断定口調の文体とあいまって、実に痛快だ。
驚いたのはインド系の文字やハングルのような結合音節文字と、漢字やマヤ文字、楔形文字のような表語文字をひとまとめにしていることだ。確かにアルファベットなどは一次元的に文字をつなげて音節を表現するのに対し、結合音節文字や漢字は部品を二次元的にくみあわせることで音節を表現する点は同じであるが、この思いきり方はちょっと乱暴ではないか。この乱暴さが本書の魅力でもあるのだが。
正書法を重視しているのも従来の文字論にはなかった視点だ。近代欧米の文字論は未知の文字の解読からはじまったこともあってもっぱら歴史に目がいき、正書法はどうあるべきかという問題は等閑にふされてきて。しかしコンピュータでテキストを読みあげるという実践的立場にたてば正書法は喫緊の課題であろう。
正書法では表現しきれないアクセントやイントネーションの問題になるとついていけなくなるが、諸大家の文字の分類を論評した部分はおもしろかった。スプロートはクルマスをもっともバランスがとれていると評価しており、クルマス的な視点からゲルプ、サンプソン、デフランシスの三人の分類を検討しているのである。わたしもクルマスをもっともすぐれていると考えているので、まだ読んでいないデフランシスの部分以外はその通りだと思う。
機械読みあげで一番の難物は日本語だと思うが、クルマスとサンプソンの日本文字の記述を紹介するにとどまっている。日本語という泥沼にはいってきたほしかったのでちょっと残念ではある。
新しい文字論としてはHenry Rogersの『Writing Systems : A Linguistic Approach』、Amalia E. Gnanadesikanの『The Writing Revolution : From Cuneiform to the Internet』あたりが気になっている。意外なのは20年前に出た中西亮氏の『Writing Systems of the World: Alphabets, Syllabaries, Pictograms』が依然として健闘していることだ。元版の『世界の文字』(松香堂書店)は絶版だというのに、英語版が読まれつづけているというのは日本人としては複雑である。