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『チベット白書―チベットにおける中国の人権侵害』 英国議会人権擁護グループ (日中出版)

チベット白書―チベットにおける中国の人権侵害

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 英国議会は1976年に国際的な人権擁護のために上下両院合同で「英国議会人権擁護グループ」(The Parliamentary Human Rights Group)という委員会を設立したが、本書は1987年のラサ騒乱後、この委員会に提出された報告書の邦訳である。初版は1989年に刊行されているが、2000年に改訂新版として再刊するにあたり、刊行後10年の状況を翻訳者の一人である酒井信彦氏が解説した「その後のチベットと日本の対応」が追加されている。

 報告書はチベットの地誌と歴史について簡単な説明をおこなった後、中国のチベット支配の歴史を「1950~79年」、胡耀邦の開放政策のはじまった「1979~83年」、「1983~87年」の三期にわけて叙述し、その後に政治犯や教育、移動の制限、漢人の移民奨励と中国化政策、産児制限の強制、鎮圧されたラサの状況を述べている。英国議会の報告書であるから、情報の信頼性はきわめて高いと思われる。

 国際的に注目された1987年のラサ騒乱の背景を解明するためにまとめられたものなので、胡耀邦の開放政策の実態解明が主要なテーマとなっている。文章は平明かつ明解で、あっという間に読めるが、内容は重い。

 記憶に残った箇所を引いてみる。まず、中国のチベット支配は暗黒の封建体制からチベット人を開放したとする中国の主張について。

 一方チベットは、農奴を支配し、時代遅れの封建制を持続させるための身の毛もよだつ刑罰と宗教的堕落とによって、ボロボロになった中世社会であったという中国の主張に荷担する解説者もいなくはない。しかし、注目すべきことは、中国のプロパガンダにそうした話が含まれるようになったのは、一九五九年の蜂起後であり、それ以前の中国の主張は、チベットは中国の一部であり、また常に歴史的に一部であったという議論にのみ頼っていたのであるから、その残虐な行為云々の主張はおそらく、自らの占領をさらに正当化する手段に用いられるために作り出されたのであろう。

 一九六〇年に法学者国際委員会(The International Commission of Jurists)は、一九五〇年以前はチベットに人権は存在しなかったという、中国の申し立てを却下した。ヒュー・リチャードソンは次のように言っている。「生きた人間の皮をはいだり、手足を切り落としたりという話を私は信じない。中国による占領以前にそんな申し立てがあったということを聞いたことはない。」

 宗教弾圧は胡耀邦時代になって緩和され、破壊され寺院の修復が行なわれたのは事実だったが、それは観光のためにすぎないと喝破している。

 中国の姿勢がこれだけ改善されてきても、チベット人の満足からはほど遠い。その理由を理解するのは難しいことではない。外国人観光客や報道関係者の目につきそうな寺や僧院だけが修復されているのである。その結果、ほとんどの人々は長い旅をしなければ、宗教行事に参加できないのである。難民の証言によれば、僧院を管理する僧侶たちは戒律を捨てており、もはや人々に尊敬されてはいないという。「まやかし」の行事が外国人を楽しませるために仕組まれていると報告されており、真実の礼拝は特別に定められた日のみに制限されている。

 中国の環境破壊は最近世界的な関心を呼んでいるが、チベットではすでに1980年代にはとりかえしのつかないところまで進んでいた。その原因はチベットの気候を無視した無茶な農業政策と略奪的な林業政策にある。

 近年のこうした改革にもかかわらず、それまでの農林政策の失敗によって、大地の荒廃は広がり、チベットは大変に苦しんでいる。森林の伐採は非常に広い地域で実行され、中国は一九五九年以来、二〇〇〇億元(三三〇億ポンド=七兆五九〇〇億円)もの利益を得てきた。この作業は、時には強制労働によって実行された。パオ・タモでは二〇年以上もの間、毎年五〇〇万立法メートルの木材が、主に囚人によって切り倒され、中国に輸送されたとの報告がある。広漠たる森林がこれまでに切り倒され、しかも植林の計画はまったくない。

 このような荒廃は重大な土砂の流出と、筆舌に尽くしがたい生態系の破壊を生み出してきた。五〇年代の中国のチベット侵入以後、それまでの豊かだった野生動物は、現況では回復の見込みがないほど、組織的に殺戮された。

 民族浄化政策の背後に王化思想があることも、報告書は正確に見抜いている。

 チベットの中国化は、疑いもなく北京政府の最終目標である。この政策をジョーン・ギッティングは次のように説明している。

「中国化の背後にある思想は、中国文化は優れた文化という漢人の思い上がりである。その思想は漢人の意識の非常に深層部分に組み込まれているので、人種差別に近い家長意識にもほとんど気がつかない。それだけに改心し難いものになっている」。

 その結果、中国語と中国文化の支配をさらに強固なものにする試みばかりでなく、チベットの歴史とチベット文明を払拭しようとする多くの試みが存在することになるのである。

 胡耀邦の開放政策は文化大革命期の弾圧から較べればましだが、所詮見せかけにすぎず、チベット人の不満が爆発するのは必然だったというのが結論である。

 20年前に書かれた報告書なのに、今読むと、ことごとく当たっていることに驚かされる。英国の情報分析能力はすごい。

 この報告書の後、江沢民時代がはじまる。六四天安門事件の大虐殺の後、江沢民はもはや共産主義では中国をまとめられないと思い知り、ナショナリズムを新たな統一原理にしようとして愛国主義教育、反日教育を進めたが、ナショナリズムの鼓吹はチベット人にとっては弾圧の時代への逆戻りを意味した。その間の経緯を解説したのが改訂に当たって追加された「その後のチベットと日本の対応」である。日本もチベットも中国に隣接して独自の高度な文明を築いてきた。チベットで起こったことは決して遠い国の出来事ではないのである。

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