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『文字はこうして生まれた』 シュマント=ベッセラ (岩波書店)

文字はこうして生まれた

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 文字の起源論として、現在、最も有力なトークン仮説を、提唱者であるシュマント=ベッセラ自身が一般向けに語った本である。トークン仮説はフィッシャーの『文字の歴史』や菊池徹夫編『文字の考古学』などに言及されているが、本格的な紹介は本書がはじめてである。

 トークンとは中近東の遺跡で大量に出土する粘土製の小物を指す。小指の先からピンポン玉くらいまでの大きさで、形は球形、円錐形、円筒形、三角錐、立方体、円盤とさまざまで、後期には模様を刻みこんだり、動物の頭部を形どったものもある。小さくて大量に出土する上に、遊具と考えられていたので、長いあいだぞんざいにあつかわれていたらしい。保存されている数は遺跡によって開きがあるが、農耕のはじまった8千年前から粘土板文書が作られるようになった千年前まで、およそ3千年間にわたって中近東で広く使われていたのは確かである。

 トークンが注目されるようになったのは、封球ブッラと呼ばれる野球のボールほどの中空の粘土製の容器の中にはいった状態で出土する物が出てきたからだ。しかも封球は印章を捺して封印してあったり、中にはいっているトークンの数と形が分かるように表面に押印してある物まで見つかった。

 こうなると明らかに遊具ではない。ポーカーチップのように、物の数を記録するの使う計算具ではないかという見方が出てきた。神殿に十頭の羊が貢納として納められたら、封球の中に羊をあらわすトークンを十個いれて密封し、表面に行政官の印章と、羊のトークンの模様を十個押印しておくという具合である。

 封球の表面にトークンの模様をトークンの数だけ押印しておくのは、封球を壊さなくても中味がわかるようにするためと考えられるが、そういうことなら粘土板にトークンの模様を押印しても同じである。実際、そういう粘土板が発見されているのである。

 トークンを文字の起源と考えることにはどんな意義があるだろうか。

 素朴な文字起源論では絵から絵文字が生まれ、絵文字から文字が生まれたと考えられている。トンパ文字のような具象性を残した文字が起源に近い文字というわけだ。

 しかし、絵と絵文字の間には深い溝が横たわっている。羊を十頭といっても、さまざまな羊がいる。牧畜社会に暮らしている人なら、われわれよりはるかに羊の個性に敏感だろう。羊の絵から羊の絵文字に飛躍するためには個々の羊の違いを捨象し、羊一般を抽象する操作が必要なのだ。トークンの段階でこの抽象がおこなわれた。文字は絵からではなく、トークンという計算具から生まれたというわけだ。トンパ文字はいかにも原始的に見えるが、案外、漢字の影響で生まれたのかもしれない。

 シュマント=ベッセラは球形や円錐形のような単純な形状のトークンをプレーン・トークン、模様を刻んだり、動物の頭部を形どったような複雑な形状のトークンをコンプレックス・トークンと呼んで区別している。プレーン・トークンは農耕で余剰生産物を蓄積できるようになり、会計が必要になった段階で、コンプレックス・トークンは神殿を中心とする、より複雑な会計が必要になった段階で作られたとしている。

 シュマント=ベッセラによれば、誰もが平等な狩猟採集段階ではタリーと呼ばれる、骨に溝を彫った計算具が使われていたが、農耕で貧富の差が生まれるとプレーン・トークンが使われ、国家の誕生とともにコンプレックス・トークンが使われるようになった。

 トークンの時代の後にトークンと絵文字粘土板を併用する時代がつづき、その後に粘土板だけの時代がくること、トークンに刻まれている模様と同じ模様を刻んだ粘土板文書という物証がある点がシュマント=ベッセラ説の強みだが、まだ定説となっているわけではない。

 トークン仮説が正しければ粘土板文書はコンプレックス・トークンの後に出現したことになるが、コンプレックス・トークンの方が後だという批判があるのである。大半の遺跡はトークン仮説が出てくる前に発掘されたので、トークンがどの層から出たかが曖昧になっているものがすくなくないという事情もあるらしい。

 批判の当否はわからないが、旧石器時代から国家の誕生までを視野におさめたシュマント=ベッセラのトークン仮説が文明の根幹を照射する理論であることに変わりはない。言語学者や考古学者、歴史学者だけでなく、会計の分野からも注目されているというのも当然である(本書の訳者の一人は会計学畑の人である)。

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