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『レトリックのすすめ』野内良三(大修館書店)

レトリックのすすめ

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「レトリック的読書の勧め」

 国際バカロレア(International Baccalaureate)という世界共通の大学入学資格試験がある。その日本語学科を私は担当しているが、重要な筆記試験の一つにコメンタリーというものがある。問題文はこうなっている「次の1(a)の文章と1(b)の詩のうち、どちらか一つを選んでコメンタリー(解説文)を書きなさい。」。昨年度は1(a)の文に水上勉の『停車場有情』からの抜粋が、1(b)の詩には村野四郎の『体操詩集』から飛込(一)、(二)が出題された。

 この問いに2時間で答えるのだが、決して簡単ではない。果たして日本の現役大学生のどの位がまともな答案を書けるであろうか。最も大切なのは、問題文に表れているメッセージをきちんと読み取る事だ。そのためには使用されているレトリック(修辞法)の分析が必須となる。

 そのために、レトリック関係の本は色々と目を通しているが、野内良三の『レトリックのすすめ』は楽しい。レトリックの解説本などというと、いかにもしかつめらしい内容で、硬く、睡眠導入剤代わりという印象があるかもしれない。しかし、この本は違う。ベッドで読んでいても面白くて目が冴えてくる。その理由は例文の引用方法にある。

 大抵のレトリック本は、レトリックが使用されたその部分だけか、せいぜい数行を引用する。だが野内は前後関係が分かるようにかなりのスペースを割いて、例文を引用している。しかも、小説の場合はストーリーがある程度わかるように、解説で説明している。そのおかげで、私たちは例として出される作品そのものを、きちんと全て「読みたい」と思ってしまう。

 その意味において、『レトリックのすすめ』は、レトリックの解説書というより、レトリックという視点から見た読書の勧め、と言った方が当たっているだろう。例えば殆どの人が名前も知らないだろうと思われる明治時代の作家、鹽井雨江の『美文韻文花紅葉』を誇張法の例として挙げる。リズミカルで迫力のある文体は、その中にしばらく浸っていたい感を持たせる。

 省略法の例として引かれた石川淳の『普賢』は、作家の抜群のセンスの良さに、数行で作家の世界に引き込まれていく。抵抗できないほどの、麻薬のような世界である(麻薬の経験は無いが)。と思えば、村上春樹の『海辺のカフカ』が転置法の例として出てくる。数多い春樹フアンにしてみれば、彼の独特の世界の秘密が一つここで明らかにされる楽しみがある。

 逆説法の一例である斎藤緑雨の『眼前口頭』にある「それが何うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。政治といはず、文学といはず。」という文には笑ってしまった。かつてフランスの故ミッテラン大統領が、愛人とその子供との関係について新聞記者に質問された時、ミッテランの答えは一言「Et alors?(それがどうしたのかね?)」であった。記者は絶句し、それ以上追求する事はできなかった。さすがフランス人。レトリックの使い方を心得ている。

 『枕草子』から現代作家まで、幅広い例文が取り上げられているが、多くの人にとって新たな読書の契機となるに違いない。もちろん、レトリックの解説そのものも、説得力をもって(作者のレトリックの力か?)書かれている事は言うまでも無い。


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