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『鉄の旋律』 手塚治虫 (講談社)

鉄の旋律

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 表題作の中編と短編二編を収録した作品集である。

 まず、「鉄の旋律」。「増刊ヤングコミック」に1974年6月から半年にわたって連載されたどろどろの復讐譚である。米原秀幸によって『Dämons』としてリメイクされていることで知られているが、まったく救いがない。

 檀の妹の亜理沙は檀の親友でエディというイタリア系アメリカ人の好青年と婚約する。檀は渡米して盛大な結婚式に出るが様子がおかしい。それもそのはず、エディはマフィアの御曹司だったのである。

 檀はたまたま目撃した殺人事件をFBIに証言するが、ファミリーの係わった事件だったために裏切者と決めつけられる。エディに助けを求めるが、彼は冷たく突き放すだけだ。檀は荒野で両腕をトロッコで切断され放りだされる。

 檀は復讐を誓うが、両腕を失って何ができるというのか。そんな時、彼はスラムでベトナム復員軍人のバーディと知りあう。バーディは両脚を失っていたが、ロボットのような松葉杖のおかげで常人を越えた力を発揮していた。

 驚いたことにその松葉杖は単なる鋼鉄の棒で、何のしかけもなかった。バーディはPK(念動力)で松葉杖をあやつっていたのだ。

 檀はバーディにマッキントッシュ博士を紹介してもらい、死に物狂いでPK能力の訓練を受け、鋼鉄製の義手を自由自在にあやつれるようになる。

 エディと亜理沙はファミリー企業の日本進出のために日本にもどっていたので、檀も彼らを追って日本にもどる。いよいよ復讐にとりかかろうとした矢先、彼が眠っている間に義手が勝手に復讐をはじめたことを知る。彼の潜在意識が知らないうちに義手を動かしていたのだ。鋼鉄の固まりの義手が意識のコントロールをはずれて動きだす恐怖。結末は徹底して暗い。「鉄の旋律」は「鉄の戦慄」でもあるだろう。

 「白い幻影」は1972年に「女性セブン増刊号」に発表された短編。連絡船の沈没でヒロインは恋人の則夫とともに海に投げだされる。彼女は救助されるが、則夫は行方不明になる。

 自分だけ助かったという罪悪感のためか、彼女の目には則夫の最期の姿が焼きつき、幻影を振り払うことができない。彼女は則夫の幻影とともに生きることを選び、独身のまま老境をむかえる。

 ある日、昔の海難事故で記憶喪失になったという初老の男が妻とともに訪ねてくる。唯一記憶に残っている少女を探しているのだという。彼女は心当たりはないと答え、心の中で則夫の幻影に別れを告げる。すべては彼女の一人相撲で、彼女は人生を棒に振ったわけだ。

 「レボリューション」は1973年に「漫画サンデー」に発表された怪談話で人格転換をあつかう。これもまた救いがない。

 『ブラック・ジャック』で復活する前の低迷期の作品だけに三編とも暗いが、このようなところまで突きつめていたから『ブラック・ジャック』のヒューマニズムに奥行が生まれたのではないか。

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