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『戦後日本スタディーズ① 「40・50」年代』岩崎稔,上野千鶴子,北田暁大,小森陽一,成田龍一編著(紀伊國屋書店)

戦後日本スタディーズ① 「40・50」年代

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村上春樹1Q84』と『戦後日本スタディーズ』」

                   小森陽一東京大学教授=共編著者)


 日本における二〇〇九年上半期を、歴史化して記述する時が来たなら、二巻本の村上春樹1Q84』(新潮社)が空前のベストセラーになったことが、必ず指摘されることになるだろう。発売前の数万部の増刷はもとより、小説の中に出てくるヤナーチェックの"シンフォニエッタ"のCDまでが売れに売れてという、関連商品の販売促進も含めて、モノの売れ行きをめぐる話題には事欠かなかった。そして韓国ではこの小説の翻訳権が巨額で競争落札されたことが社会問題化した。

 団塊の世代に属する何人もの男性の編集者からは、「小森さんの批判にも正面から応えてますよ」と少年のように紅潮した面持ちで、読むことを勧められた。確かに『村上春樹論――『海辺のカフカ』を精読する』(平凡社、二〇〇六年)での私の批評に応答していると読めなくはない。女性嫌悪を根底に置いて、密かに作中の女性を処刑している小説だという『海辺のカフカ』(新潮社、二〇〇二年)に対する私の批判には、ドメスティック・ヴァイオレンスを行使する男性を女性の依頼に基づいて、「必殺仕置人」的に処刑する「青豆」という女性を奇数章の主人公にすることで応えているともいえる。

 小説自体への評価はひとまず留保するとして、ジョージ・オーウェルの近未来小説『1984年』(一九四九年)をパロディ化した『1Q84』という近過去小説のディテールの一つひとつを歴史化してみることは、二〇〇〇年代を生き抜くために必要な実践なのかもしれない。最新のファッションに身を包み、鋭く研がれたアイスピックのような武器で、暴力的な男性の命を一瞬にして奪う「青豆」をどのように受けとめるのか。「対抗暴力のロマン的憧憬と、非暴力・非抵抗の女性化に抗いつつ、社会的な水準での変革を求めていく――この根底的なジェンダーの問いの困難さ」の中で捉え直してみること。

 引用は北田暁大「問題としての女性革命兵士――永田洋子と総括空間」(『戦後日本スタディーズ②「60・70」年代』所収)からであり、この論文は上野千鶴子の「女性革命兵士という問題系」(『現代思想』二〇〇四年六月)を媒介に、連合赤軍事件における永田洋子のメディアにおける表象のされ方、連合赤軍における「総括」の意味などを理論的に問うている。

 北田はかつて上野の教え子であり、『戦後日本スタディーズ』全三巻の共同編著者でもある。「明瞭にすぎるぐらいに明瞭な(中略)上野がめずらしく、自らの立場どりの困難さを前に、やや言葉を詰まらせているようにみえる問題系」として、「女性革命兵士」について北田が論じていること自体の中に、『戦後日本スタディーズ』の心意気があらわれている。論文も討論も真剣勝負なのだ。

 『1Q84』の偶数章の『空気さなぎ』という小説の、若い女性の書き手である「ふかえり」がかつて属していた、「農業コミューン」から「宗教団体へと大きく方向転換した」、「さきがけ」という組織について考えるためには、同じ巻の今防人「コミューンはどこへ行ったのか?」や、道場親信「地域闘争――三里塚水俣」は欠かせない。もちろん北原みのり上野千鶴子が聴き手となった、巻末の田中美津へのインタヴューも。

 「さきがけ」という組織は、どうしてもオウム真理教を連想させるように設定されている。そうであるなら「田中康夫は大震災のボランティアに参加し、村上春樹オウム真理教の取材を重ねるようになる」と一九九五年を規定した原宏之「ポストバブル文化論」、遠藤知巳「オウム事件と九〇年代」など、『戦後日本スタディーズ③「80・90」年代』に収録されている論文も『1Q84』の解説には有効である。

 偶数章で「ふかえり」の書いた小説をリライトするように、天吾に依頼をする文芸雑誌の編集者が重要な役割を担い、彼の予想通りに『空気さなぎ』がベストセラーとなり、その小説内の物語的設定をはるかに上回る規模で、『1Q84』は言葉のブランド商品として売れていった。「村上春樹が世界的なベストセラーになった」「状況の変化」を、「書物というものが持っていたオーラが完全に雲散霧消してしまった」ことに見出し、「そうなりはじめたというのが八〇年代だ」とする、三浦雅士への北田暁大のインタヴュー「現代思想の時代」は、現象の背景を考えるうえでも重要な問題提起となっている。

 多くの男性批評家や研究者が『1Q84』について、ほとんど提灯持ち的文章を書いていた状況に対して、この小説を貫いている男の子目線を批判した斎藤美奈子は、「フェミニズムが獲得したもの/獲得しそこなったもの」をこの巻に執筆している。『1Q84』の女性表象の在り方を考えるためには不可欠な歴史化の手続きである。これらの前提となる『戦後日本スタディーズ①「40・50」年代』が八月末に刊行され、このシリーズが完結した。

*「scripta」第13号(2009年6月)より転載

▼11月7日に、『戦後日本スタディーズ』のシリーズ完結を記念して、編者の5名によるトークセッションを開催いたします。ぜひお越しください。

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第60回紀伊國屋サザンセミナー

『戦後日本スタディーズ』(全3巻)完結記念トークセッション

あったかもしれない日本――歴史の〈後知恵〉はどこまで有効か

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気鋭の執筆陣が〈戦後〉を歴史化する試み――『戦後日本スタディーズ』の完結を記念して、編者によるトークセッションを開催します。もし憲法9条がなかったら? 安保闘争に勝利していたら? 総括なき連合赤軍が存在したら? バブルが崩壊していなかったら?…… 歴史に「もしも」は禁句とされていますが、現代日本の思想界を代表する5人が、戦後史を問い直し、「いま」を解読する手がかりとして「今のようではなかったかもしれない日本」を構想するスリリングな討論にご期待ください。

日時|2009年11月7日(土)19:00開演(18:30開場)

講師|岩崎稔上野千鶴子北田暁大小森陽一成田龍一

料金|1,000円(税込・全席指定)

会場|紀伊國屋サザンシアター紀伊國屋書店新宿南店7F)

前売り|

紀伊國屋サザンシアター紀伊國屋書店新宿南店7F)(10:00-18:30)

キノチケットカウンター(紀伊國屋書店新宿本店5F)(10:00-18:30)

電話予約・お問い合わせ|紀伊國屋サザンシアター 03-5361-3321(10:00-18:30)

★サイン会あります★

終演後、講師によるサイン会を行ないます。

※当日会場にて対象書籍をご購入いただいた先着150名様

講師略歴:

岩崎稔|1956年生。東京外国語大学教授(哲学、政治思想史)。『アメリカという記憶』(訳書)、『戦後思想の名著50』(共編著)など。

上野千鶴子|1948年生。東京大学教授(社会学)。『家父長制と資本制』『おひとりさまの老後』など。

北田暁大|1971年生。東京大学准教授(理論社会学、メディア史)。『広告の誕生』『嗤う日本の「ナショナリズム」』など。

小森陽一|1953年生。東京大学教授(日本近現代文学)。『日本語の近代』『日露戦争スタディーズ』(共編著)など。

成田龍一|1951年生。日本女子大学教授(日本近現代史)。『〈歴史〉はいかに語られるか』『日露戦争スタディーズ』(共編著)など。


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