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『ああ太平洋』上下 水木しげる (宙出版)

ああ太平洋 上


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ああ太平洋 下


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 水木しげるは1957年に他の作者が途中で放棄した作品を補筆する形で貸本漫画業界にはいり、翌年2月実質的なデビュー作である『ロケットマン』を、3月には『戦場の誓い』を発表する。オリジナル第二作にして戦記漫画を書いているのである。この年水木は20作品を出版するが、そのうちの4作品は戦記ものだった。

 戦記ものはそこそこの部数が見こめたのか、水木を専属のように使っていた兎月書房は1959年5月に貸本誌「少年戦記」を創刊する。水木は執筆だけでなく編集までまかされ、カバー絵を小松崎茂宅にとりにいったりコラムや図解を書いたり、同じ号に別名義で複数の作品を書きわけたりした。原稿料の不払いがもとで翌年水木は兎月書房と絶縁するが、それまでに「少年戦記」は15号が出ている。1959年にかかわった24点の貸本漫画のうち19点が戦記関係である。NHKの連続ドラマ『ゲゲゲの女房』の「少年戦記の会」のエピソードはこの頃の話がもとになっている。

 兎月書房を離れた後も水木は一定の需要のある戦記ものを描きつづけた。貸本時代の水木作品の中で戦記ものは一大山脈を作っているが、多くはマニア向けの高価な復刻本でしか再刊されなかったのでなかなか全貌を知ることができなかった。宙出版の「戦争と平和を考えるコミック」シリーズから出た全5冊の「水木戦記選集」は貸本時代の作品を中心に「少年戦記」のコラムを一部再録しさらに水木のインタビューと綿引勝美氏の解説をくわえており、水木戦記漫画の集大成となっている。貸本漫画と同じA5版で各巻400頁を越えるのに価格は1365円におさえられている。紙質がよくないのと書誌データがないのが不満だが、この値段では文句は言うまい。

 なお、本欄の書誌データは山口信二氏の労作『水木しげる貸本漫画のすべて』(YMブックス)によっている。水木ファン必携の素晴らしい本だが、絶版なので本欄では紹介することができない。ここに注記して感謝をあらわしたい。

 さて『ああ太平洋』である。水木は「少年戦記」に「水木作戦シリーズ」と銘打って大東亞戦争の主な海戦を次々と描いたが、このシリーズを中心に海軍関係の作品を史実の順に編集したのがこの二巻本である。上巻は真珠湾攻撃から第一次ソロモン海戦まで、下巻はマリアナ沖海戦とレイテ沖海戦を描く。上巻は玉石混淆だが、負け戦になってからの下巻は文句なしの傑作である。水木サンは負け戦を描く時の方がボルテージが上がるようだ。

 上巻から紹介しよう。

「カランコロン漂泊記 戦争論

 「ビッグコミック」に連載されたエッセイ『カランコロン漂泊記』から小林よしのりの『戦争論』にふれたショートコミックを抜きだしたもの。

 『戦争論』を読んで戦前の勇ましさを思いだし「非常に懐かしかった」が、同時に「何だか輸送船に乗せられるような気持ち」もしたと複雑な心境を語る。

 メジャーになってからの戦記ものは反戦色が濃いが、戦争で興奮する自分を否定しては戦争観が薄っぺらになる。貸本時代、ある意味で好戦的な戦記ものを描きつづけたのは需要があったからだけではないだろう。『ゲゲゲの女房』に極貧時代、夫人から「わが家にはそげな軍事予算はありません」と苦情をいわれながらもプラモデルで連合艦隊の再建をめざすエピソードが出てくるが、仕事と割り切って描いていたなら「「あ号作戦」と南雲中将」や「決戦レイテ湾」のような傑作は生まれなかったはずである。

「山本元帥と連合艦隊

 1961年にカナリア文庫から発行された貸本誌「ああ太平洋」第1号と第2号に分載。山本五十六の死までを5部にわけて描く予定だったが、「ああ太平洋」が2号で終わったので続編は書かれなかった。

 第一部は大正8年駐在武官としてのアメリカ勤務と真珠湾攻撃、第二部は「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈したマレー沖海戦を描くが、出来はいまいちである。

「印度洋作戦」

 1959年に兎月書房から単行本として出版。

 南雲機動部隊が英国東洋艦隊を撃滅するためにスリランカ沖まで出ていったインド洋作戦を描く。陸軍と海軍の意志が統一できず目的が曖昧で批判の多い作戦だったが、迎え撃つ英国側のハリケーン飛行中隊の視点をとりいれることで緊迫感が生まれた。海に不時着した日英のパイロットが力を合わせてフカと戦うエピソードが見せ場となっている。

「珊瑚海大海戦」

 1959年に貸本誌「少年戦記」(兎月書房)第2号に掲載。

 史上初の航空母艦どうしの対決となった珊瑚海海戦をパイロット兄弟を軸に描くが、かなり無理のあるストーリーだ。こんなにひねらなくてもよかったと思うのだが。

「ミッドウェイ作戦」

 1959年に貸本誌「少年戦記」(兎月書房)第1号に掲載された「水木作戦シリーズ」の第一弾である。

 よけいなひねりはくわえずほぼ史実通りだが、澤地久枝の『滄海よ眠れ』の前なので「運命の五分」説で話が組み立てられている。水木には澤地の発見にもとづく真実のミッドウェーを描いてほしかった。

「空母飛龍の最期」

 1959年に貸本誌「少年戦記 別冊空母戦記」に掲載。

 ミッドウェー海戦では「赤城」、「加賀」、「蒼龍」があっけなく戦闘不能になる中、はなれたところを航行していた「飛龍」が唯一反撃をおこなったが、本作は「飛龍」の奮戦と最期を艦とともに運命をともにした山口多聞少将を軸に描いている。上巻では一番読みごたえのある作品である。

「急襲ツラギ夜戦」

 1959年に貸本誌「少年戦記」(兎月書房)第3号に掲載。

 ツラギ夜戦として知られる第一ソロモン海戦については1964年にも「奇襲ツラギ沖」(『姑娘』に収録)を書いている。主人公とストーリーはほぼ同じだが、出来は1964年版の方がずっとよい。

 以上が上巻で次に下巻。

「波の音」

 「週刊朝日」(朝日新聞社)1974年4月20日増刊号に掲載。

 南の島に遊びに来た日本人観光客が波うちぎわの髑髏から死の経緯を聞かされる。髑髏は生前は日本兵で最後の突撃で生き残り敵対する原住民に追われながら何とか生還するが、中隊では生きていてはいけない卑怯者だといじめられ、みじめに戦病死する。「敗走記」や『総員玉砕せよ!』の別バージョンといえよう。

「「あ号作戦」と南雲中将」前編・後編

 1959年に貸本誌「少年戦記」(兎月書房)第5号と第6号に分載。

 南雲忠一中将は日米相討ちの形となった南太平洋海戦の後、昭和19年3月中部太平洋方面艦隊司令長官を拝命してサイパン島に着任する。サイパン島にはアメリカ軍の上陸が迫っていた。日本海軍はサイパンに向かうアメリカ艦隊とマリアナ沖で決戦をいどむが、いわゆる海軍乙事件で作戦計画書がまるまるアメリカ軍の手にわたっていた上に作戦自体に無理があったことから、日本の機動部隊は壊滅する。連合艦隊が救援に来てくれるという期待もむなしくサイパン島の日本軍は孤立無縁のままアメリカ軍の上陸をむかえ玉砕していく。南雲中将は最後の訓示の後、自決したとも兵の先頭に立って突撃したともいわれているが、本作では自決説をとっている。

 サイパン島守備隊の視点から見たマリアナ沖海戦という視点は新鮮である。ミッドウェーの敗北の責任から自分を責めつづける南雲の暗い心情が基調となっているが、『ああ太平洋』中随一の傑作である。

「決戦レイテ湾」

 1959年から1960年にかけて貸本誌「少年戦記」(兎月書房)第7号~第12号に連載(第9号には第3部と第4部を同時掲載)。

 栗田艦隊がアメリカ軍輸送船団がひしめくレイテ湾の手前までゆきながら反転したについてはさまざまな説がたてられているが、その謎解きを軸に捷一号作戦を描いた全7部272頁の雄編である。

 水木の描く栗田は表向き「自分はどうでもよい。ここは犬死により、部下を救ってやろうと決意した」と温情ある決断を下したことになっている。しかし最初から通して読むと「犬死に」とは輸送船団ごときと差し違えるのは嫌だという意味であり、日本軍の悪弊である兵站無視の結果だったことがわかるしかけになっている。多くの論者が批判するようにレイテ湾に集まったアメリカ輸送船団は連合艦隊と引き換えにするだけの戦略的価値があった。栗田艦隊は海軍エリートたちのわがままから戦機を逃がしたのかもしれないのである。

 部下の犬死にを避けるという栗田の決断が神風特別攻撃隊の誕生をうながしたという皮肉な対比も本作には仕組まれている。確かにそういう一面はあっただろう。日本はなんと幼稚なエリートたちに国の命運を託していたのだろうか。

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