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『アップルを創った怪物 もうひとりの創業者ウォズニアック自伝』 ウォズニアック&スミス (ダイヤモンド社)

アップルを創った怪物  もうひとりの創業者ウォズニアック自伝

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 世界的な企業は二人の対照的な人物によって創業されることが多い。ソニー井深大盛田昭夫本田技研本田宗一郎藤沢武夫ヒューレット・パッカード社のウィリアム・ヒューレットとデビッド・パッカード、マイクロソフト社のビル・ゲイツポール・アレン、グーグル社のサーゲイ・ブリンとラリー・ペイジ。まだまだつづけることができるが、アップル社も二人のスティーブによって創業された。スティーブ・ジョブズスティーブ・ウォズニアックである。

 ジョブズについては波乱万丈の生涯と毀誉褒貶はなはだしい性格からおびただしい伝記が書かれているが、ウォズニアックの方は地味な技術者であり、ウォズという愛称で呼ばれる穏やかで誰からも愛される人柄ということもあって、ジョブズほどには注目されてこなかった。

 本書はそのウォズニアックの自伝というか自分語りである。邦題はおどろおどろしいが、原題は I, Woz(ぼくはウォズ)を iMaciPodにひっかけて iWozと洒落ている。ジーナ・スミスというライターがウォズニアックにインタビューした内容を、ウォズニアックの語り口を活かして原稿化したということで、日本語版も

 定価は、僕のアイデアで六六六・六六ドル。同じ数字が並ぶのが好きだったからね。

 でも、これはちょっとだったんだよね。あちこちからの手紙で知らされるまで、この数字に悪い意味があるなんて僕らは知らなかった。なんだって? 獣の数字だって? そんなの、ホントに知らなかったよ。映画の『エクソシスト』も見ていなかったしね。アップルⅠが獣のわけないじゃないか。

のように砕けた調子で訳してある。

 意外だったのはウォズニアックもカリフォルニアの反体制文化の申し子だったことだ。ウォズニアックの父親はロッキードでミサイルを開発していたエンジニアで、当然ゴリゴリの保守派だった。ウォズニアックもコロラド大学時代は共和党クラブに籍を置いていたが、カリフォルニアの自宅にもどり、地元のカレッジに移ってからベトナム反戦運動に影響されるようになり、ペンタゴン・ペーパーを読んで父親と大喧嘩したという。

 決定的だったのは徴兵である。ウォズニアックは書類不備のために学生なら受けられる徴兵猶予を受けられず、抽選結果によってはすぐにもベトナムに送られる1Aにされてしまう。何度も抗議したが、駄目だった。幸い、抽選で徴兵の可能性はないという結果になったが、その結果が出た直後、却下されつづけた徴兵猶予を一転して認めるという通知が届く。ドストエフスキーが受けた死刑判決のようなもので、以後、ウォズニアックは政府を信じなくなったという。

 ウォズニアックは同世代のヒッピー文化にも親しんでいた。ヒッピーと同じような「自由な心」をもっていると自負していたが、しかしヒッピーにはなれなかった。襟のあるシャツを着つづけたし、ドラッグをやらなかったので仲間とは認めてもらえなかったのだ。

 ジョブズ正真正銘のヒッピーになるが、ウォズニアックと出会った頃は高校生で、エレクトロニクスのいたずらで意気投合した。後年の二人を知る人間にとっては意外なことにウォズニアックは自分とジョブズが「似ている」と感じたそうだ。

 いや~、似てるなぁって思ったよ。自分の設計を説明しようとすると苦労することが多いんだけど、スティーブはすぐにわかってくれたし……。彼を気に入っちゃってね。あのころの彼はやせぎすだったけど、エネルギーの塊って感じだった。

 この後、二人のスティーブは有名なブルーボックスなどさまざまないたずらをしでかすが、最大のいたずらはアップル社を創業したことだろう。

 ウォズニアックが設計したキーボードとディスプレイがつながる世界最初のパソコン(パソコン第一号とされるアルテアはスナップスイッチで入力し、LEDの点滅で結果を表示した)の将来性を見抜いたジョブズは回路図をクラブの仲間に無料で配ろうとするウォズニアックを押しとどめ、事業化しようともちかける。歴史的な瞬間を本人はこう回想している。

 あのとき、僕らはスティーブの車に乗っていた。そして、こう言われたことを、まるで昨日のことのようにはっきりと覚えている。

「お金は損するかもしれないけど、自分の会社が持てるよ。自分の会社が持てる一生に一度のlチャンスだ」

 自分の会社が持てる一生に一度のチャンス。これには負けた。自分たちがそんなことをすると思っただけで元気が出たよ。親友と二人で一緒に会社を始める。すごい。すっかりその気になってしまった。やるっきゃないじゃん。

 アイザックソンのジョブズ伝によると「お金は損するかもしれない」と言ったのはウォズニアックをその気にさせるためのレトリックで、ジョブズ自身は最初から成功を確信していたそうである。

 二人は電卓(当時は高価だった)やオンボロ自家用車を売って資金を作り、アップルⅠの製作にとりかかるが、ジョブズがすぐに五万ドルの注文をとってきたので遊びではすまなくなる。

 ウォズニアックはヒューレット・パッカード社の社員だったので、余暇に発明したとはいえ、アップルⅠの優先権はヒューレット・パッカード社にあった。ウォズニアックはできれば上司に相談し、社内でデモをおこなったが却下され、法務部から同社は何の権利も主張しないというメモをもらった。

 アップルⅠの成功後、二人のスティーブは伝説の銘機AppleⅡの準備をはじめるが、遅ればせながらヒューレット・パッカード社もパソコンに乗りだすことになった。ウォズニアックは自分を開発にくわえてもらえないかと直訴したが、聞いてもらえなかった。ヒューレット・パッカード社のパソコンはウォズニアックが一人で書きあげたBASICに五人も技術者をわりあてるなど大プロジェクトになったが、出来上がったものはアップルⅡに遠くおよばず、すぐに撤退した。アップルⅡを買いとらなかったのはヒューレット・パッカード社大失策であり、GUI技術に埃をかぶらせていたゼロックス社の不明とならぶ大企業病の最たるものだろう。

 しかしヒューレット・パッカード社がいつまでもウォズニアックの才能に気づかないということは考えられない。ウォズニアックが新技術を発明するたびにヒューレット・パッカード社に権利放棄をするなんていうことはなくなるだろう。ジョブズとアップル社の共同経営者となったマイク・マークラはウォズニアックを一刻も早く退社させ、アップルの仕事に専念させようとしたが、ウォズニアックは首を縦に振らなかった。友人たちや父親までが説得にくわわったが、ウォズニアックを翻意させることはできなかった。

 ウォズニアックが退職を拒んだのは生活の安定を望んでのことではなかった。一生エンジニアでいたかった彼は経営者となることで開発の現場から離れるのが嫌だったのだ。結局、退職を決めさせたのは自分の会社をはじめても、エンジニアでいつづけることはできるというアレン・ボームの一言だった。ジョブズとは違う意味でだが、ウォズニアックも難しい人間なのである。

 ここからは本書とアイザックソンのジョブズ伝では記述が違ってくるが、本書によると創業者ではあっても職制上は一介のエンジニアなので、ジョブズにもマークラにも相談せずに直属の上司にだけ申し入れて非常勤の社員になる。

 その後のアップル社の快進撃はあらためて語る必要はないだろう。ウォズニアックは画期的なフロッピーディスク・コントローラーを開発するなどしてアップル社の成長に貢献するが、大企業になっていくにつれ居場所がなくなったと感じるようになり、1985年に新事業を思いついたのを機に退職を決める。

 ここからは本書とアイザックソンのジョブズ伝では記述が違ってくるが、本書によると創業者ではあっても職制上は一介のエンジニアなので、ジョブズにもマークラにも相談せずに直属の上司にだけ申し入れて非常勤の社員になる。

 一方、アイザックソンによると、ニュースでウォズニアックの退職を知ったジョブズは直後にワシントンで行われたナショナル・テクノロジー・メダルの授与式で同席した際に説得し、発表会などに協力する非常勤社員になることを承知させる。経緯はどうであれ、ウォズニアックがアップル社に今でも籍を置きつづけ、年俸2万ドル(約160万円)の最低賃金を受けとっているのは事実のようである。

 さてアップル社を辞めてまではじめた新事業であるが、これがなんとユニバーサル・リモコンなのである。ウォズニアックは自分の発明したリモコンがいかに凄いか、うれしそうに語っているが、脱力してしまう。カエサルが自慢した杭打ち機のようなものか。ウォズニアックはその意味でも正真正銘の天才だったのである。

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