『あなたに似た人』ロアルド・ダール(早川書房)
「ノスタルジックな毒見」
先月、「マチルダ」を観た。ロンドンからブロードウェイに上陸し、新大陸でもトニー賞獲得の大成功を収めた、ダール原作のミュージカルだ。満員御礼、最後のチケット獲得に快哉の声を挙げたのも束の間、歌って踊っては結構ながら、園児の学芸会さながらの大仰な身振りに腰が引けてくるのに、10分は要さなかった。
そもそも、ミュージカルに鼻白むのが自分の性質なのだ。どうして「マチルダ」にしてしまったのか?高額なチケット代が脳裏で点滅するなか、貧乏性のわたしは、元を取ろうと合理化に励み始めた。歌って踊って大仰なのは、歌舞伎もオペラも大同小異。ミュージカルだけに眉をひそめることはない、とか何とか。ところが、バーティー・カーベルが女装で登場した途端、後悔の戯言は払拭された。のみならず、カーベル(惜しくもトニー賞助演男優賞を逃すが、イギリスではオリビエ賞受賞)扮するサディスティックな校長は、ダールにまつわる記憶を次々と蘇らせ、回顧の後味を残すこととなった。ダール原作「チャーリーとチョコレート工場」のティム・バートン&ジョニー・デップでは起きなかった現象だ。
遡ること40年前、早川書房に異色作家短篇集という選集があって、ロアルド・ダールの名を知ったのは、それが初めてだったように記憶する。今や文字通り黴臭くなった箱入りのモノクロ装丁は、今眺めても惚れ惚れとする。下って80年代、某民放の深夜に放映された、「ロアルド・ダール劇場―予期せぬ出来事―」なる番組では、ドラマ化されたダールの短篇とダール自身が堪能できた。時代的には前後するものの、矢張りテレビ放映された「モンティ・パイソン」の味と重なって思い出される。
「マチルダ」観劇の後、ダール再読に執心していたところ、時代の推移とともに、装丁や訳者も変わったことを知った。そもそも、ダールが児童文学者として名高いことなど、わたしはまったく知らなかったし、「マチルダ」も「チャーリー…」も例外とばかり思い込んでいた。ところが、ダールの児童書は数において大人向けの作品を遥かに凌駕しているのみならず、1960年以降の執筆は、専ら児童文学へと移行すらしている。世間的には、児童書の作家としての認知度の方が高いのかも知れない。
この発見は、回想に浸っていたわたしを困惑させた。ノスタルジアに背く新事実は、受け入れ難い。マザーグースに一脈通じる残忍さがあるからといって、あの研ぎ澄まされた匕首(あいくち)のような切れ味と毒気が、こどもに親しまれる料理の調味料になっていたなど想像の埒外だった。ところが、昭和44年版のハヤカワ・ポケット・ミステリ(この装丁も渋かった)に執着し、新訳など不要と啖呵を切っていた意地は、10日も持たなかった。この手の意固地さが老化の徴候に思えてきたのだ。懐古の毒見が耄碌(もうろく)の兆しを露見しつつあることに怯えたわたしは、翻意即行、ノスタルジアを投げ打って新訳を入手した。
新訳に辿りつくまでの往生際の悪さのわりには、本書はあっさりとした喉越しで、腹に収まった。さすがにミステリー翻訳のベテランだけはある。意地悪な姑さながら比較したわけではないが、旧訳との大幅な変化を感じさせず、それでいて随所に「こう来たか!」と思わせるワザを垣間見せている。半世紀以上(!)永らえた田村隆一の旧訳は、今も充分通用すると信ずるわたしだが、新訳になったからといって恐れていた品格の下落は皆無。精巧緻密に仕組まれ、最後の1,2行で冴えた一撃を加えるダールの毒入り職人芸に、翻訳の職人芸が応えている。
短編集『あなたに似た人』は、心理劇集である。疑心、小心、慢心、欲心、執心、異心に邪心。登場人物の心に巣食う毒が意外な顛末へと発展していく過程が、虚飾のない文章で構築されている。頻々と登場する賭け事は、人間がこよなく愛するスリルを凝縮させた舞台装置のようなもので、賭博のスリルに心理劇のスリルが重奏される。『あなたに似た人』(原題 ”Someone like you”) とは、心事の毒にかけては、主人公も読者もひとつ穴の狢であることを意味する。ダールの特徴である冷やかな皮肉が滲むタイトルだ。
本書では、ポーカーフェイスの手品師が、次々と観衆の心を浚う手際の良さで、15演目が披露される。新訳版では、ボーナストラックではないけれど、「ああ生命の妙なる神秘よ」・「廃墟にて」の2作が追加収録されている。
ほとんどが20頁ばかりの小編なのだが、「クロードの犬」は例外で、登場人物と舞台を同じくするひとつの短篇に、3つの掌編が入れ子細工になっていて、異質な読み心地を残す。他の短篇は、残酷な場景が連発されるにもかかわらず、身体に訴えてくるようなグロテスクさがない。突き放したような距離感のある筆致と土壇場に仕掛けられた転回の小気味良さ、そして絶妙な長さ(短さ)に理由があるのだろう。「クロードの犬」では、ダールの筆致自体は変わらないはずなのに、余計な感情移入が生じる。他篇に比べて、人物や舞台に3倍は長く関わる結果としか思えない。掌編3本をどうして入れ子にして短編集の最後に添えたのか?不思議な余韻を与える「クロードの犬」を、他の16篇と比較してみるのも、本書の味わいのひとつである。
新訳は今年5月に刊行された。上・下に二分冊した工作には賛同しかねるものの、「チョコレート工場」や「マチルダ」だけではないダールが、田口俊樹の新訳によってリバイバルしたことは、やっぱり喜ばしい。しかも、早川書房は、新訳刊行とともに旧訳も電子書籍化販売するという作戦に出ている。ダールを児童文学作家として認知していた読者にとっても、ダールの毒に痺れた既往を持つ読者にとっても、ダール再会が果たせるお中元だ。勿論、初めてのダールを選ぶなら、本書を置いて他はない。