『現代思想』2月号~特集:医療崩壊-生命をめぐるエコノミー(青土社)
「QOLと緩和ケアの奪還」
20代後半の若手編集者、とても東大卒には見えない甘めのルックスだけど「できる」と評判の栗原さんから、この企画をいただいたのは昨年の暮れだったか。雑誌は集団の力を見せつける。『現代思想』2月号の特集、医療崩壊がそう。
特集号の題名は過激だ。だから私は少し躊躇した。でも栗原さんの口から出た対談相手の名前が中島孝。それならなんとかと私は思った。
中島先生は「特定疾患患者の生活の質(QOL)の向上に関する研究」という物騒な名称の研究班の班長をここ6年間も勤めてこられた。私も班の一員だった。そして私たちはこの数年間、この国で起きた重症患者の生存をめぐる、ありとあらゆる危機に研究班として対処してきた。
2003年夏は介護疲れの母親がALSの息子を殺してしまい、そこから始まった「呼吸器停止」「安楽死尊厳死の法制化」「事前指示書」の議論。国は医療費削減策と死の法制化に向けて滑り出していた。メールでも会議でも、日本を代表する神経内科医たちが激しい議論の応酬を繰り返した。彼らの意見は真っ向から対立し時に火花が散った。私の目前で彼らの意見は散々食い違った。それも患者を思えばこそなのだ。当事者の私にはよくわかる。私もいろいろ生意気を述べさせてもらったが、親身な議論をありがたく思わない時はなかった。
日本の患者だけが一度つけた呼吸器を外せない。だから尊厳死に関する議論は、わが国の医療倫理の特殊性をターゲットに進んだ。他国の患者のように、本人の希望なら死を覚悟した呼吸器停止はあり得るという人と、他国にように(時にナチが引用されるが)、介護負担の大きな患者の自己決定は死の強制につながるに違いないという人と。どちらも患者の意見を代表していた。しかし、議論の中核にあるべきは、制度的な支えがない中での患者や弱者の自己決定の信憑性なのだ。前もって言い残した言葉が、死神が眼前に現れた途端、覆される場面を何度か見てきた。だから私は病者の言葉通り、死なせてはいけないと信じている。自殺の自由など許されないと考える。
研究班はいわゆる難病オタクの集まりであって、安楽死だの自殺幇助だのの、物騒な話が尽きることなく繰り替えされる場所だった。そのQOL班の主催で、昨年厳冬の京都で第一回「難病と倫理」研究会を開くことができた。当初、私は小泉義之先生を囲む小さな研究会を考えていたが、中島先生の戦略によって、小泉先生を巻き込むQOL研究会に発展していた。さらに、山梨大学からは『死ぬ権利』を出版されたばかりの香川知晶先生にもいらしていただき、私は悦に浸ったのだった。
今思えば、哲学者と臨床医のコラボレーションによる研究会は、読書好きな介護娘の永遠の夢だった。あの頃、私はALS患者は無駄な延命によって苦しめられていると信じていたし、実際に自分の手で病床の母を殺しかけていた。でも、医療と哲学の相乗効果によってまず心が救われた。そして現実的なこの生活は、初夏のお台場での社会学者の入れ知恵により与えられた。恩ある人々と京都で議論できる。難病患者の希望や夢を語り合える。そんな日が訪れるなんて、在宅介護で日が昇り日が暮れたあの頃には、まったく想像さえできなかったのに。
人生は突然大きく変わる。善くも悪しくも。だから親やパートナーが難病になったって悲観することなどないのだ。そんな気持ちが研究会に参加していた若い編集者の心に届いた。中島先生との対談、「QOLと緩和ケアの奪還」も、彼の意図したとおり話は進んだ。文系の研究者はQOLというと目くじらを立てる。しかし臨床医にとってQOLは大事な指標になっている。この齟齬こそが使えると。QOL言説を今ひっくり返すのだと。逆転の発想である。安楽死につながる緩和ケアもどうにかしたい。緩和そのものの意味を取り戻したい。画して『現代思想』に難病と倫理をつなぐ対談企画が持ち込まれた。
医療崩壊はもう始まっているのかもしれない。でもペンの力が食い止めるに違いないと信じられる特集になっている。