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『トヨタの闇』渡邉正裕・林克明(ビジネス社)

トヨタの闇

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「全日本国民必読の書である」

 トヨタという自動車メーカーの「闇」にスポットをあてたノンフィクションである。
 世界一の自動車メーカーに成長したトヨタ

 成功した会社として、その社風をたたえる書籍が無数に出版されるトヨタ

 その闇にスポットをあてた書籍は、数えるほどしかなかった。

 トヨタ批判の完全なる不在。

 国策企業トヨタを批判的に検証できない日本のジャーナリズムの足腰の弱さは公然たる秘密だ。

 トヨタをジャーナリズムの対象として取り上げた、その数少ないノンフィクション作品のなかで、いまも読み継がれているのは鎌田慧の『自動車絶望工場』だろう。

 この作品にしても、ノンフィクションという出版業界では「売れない」ことが常識になった領域に興味をもっている人間、大企業の労働問題に取り組んでいる関係者くらいしかひもとくことはない「古典」になってしまった、と言ってよい。

 私はいまこの原稿を浜松という東海地方の一都市で書いている。

 トヨタの影響が強い東海地方でトヨタについて話をすることと、製造業の現場がなくなった東京で話をすることでは意味が違う。とくにトヨタのお膝元である愛知県では、メディアなどの公的な場で、トヨタの批判をすることは不可能である。地縁、血縁の誰かがトヨタ本社と、トヨタ関係で働く。自己規制が働くのはやむを得まい。トヨタ批判のために発表の場を提供するメディアは、東海地方では皆無である。東海地方で絶大なシェアを誇る中日新聞をはじめとする地方メディアはトヨタに批判的なニュースを配信しない。そう断言してもかまわないほどの影響力がトヨタにはある。

 この本で書かれたことは、東海地方で自動車関連産業に携わっている人間であれば、風評としてではあるが、断片的に知られていることである。

 本書でも多くの紙面が割かれているトヨタの正社員の自殺の多さ。会社のビルから飛び降り自殺をしたという噂は絶えない。

 トヨタには数万人の社員が働いているのである。そのすべての口をふさぐことはできない。広告収入で事業を回している広告代理店、雑誌、テレビ局の人間でさえ、表だって語ることはないが、トヨタの内情について知っているのである。ただ「発表」、「報道」という形で公開されないのである。

 本書を書評で取り上げるのは迷いがあった。

 その気持ちに変化が起きたのは浜松に移住してからだ。本書が名古屋駅、浜松駅周辺にある主要書店で平積みになっている様子を確認し、東海地方で働く人々が、トヨタの内情を心から知りたがっていることを知った。

 私はトヨタ本社のある愛知県で生まれ育ったため、トヨタによって地域経済が潤い、東京をのぞく地方のなかで東海地方が突出して好況であることを好ましいと思っている。

 東京にいたとき、本書を取材執筆した取材チームに入る気があるか、と打診されたことがある。確信をもってトヨタを批判することができないので、その参加を見送った。その判断は正しかったと思っている。

 その後、日本経済新聞が、本書『トヨタの闇』の新聞広告を拒否した。これはニュースサイトMyNewsJapanで報道された。

 本書の意義を認め、精力的に報道しているのは海外メディアであり、日本の主要メディアは黙殺していることも明らかになっている。

 憶病なほどにメディアがトヨタに遠慮し、自主規制をしているのである。

 私も憶病だけれど、日本経済新聞の自主規制は度が過ぎている。書籍の広告ぐらい出稿しても、トヨタから圧力があるなんてことはない。あったとしたらはねつければいい。版元のビジネス社の責任で広告を出しているので問題はないはずだ。

 内容は過激ではない。トヨタと仕事をしたことがある人、東海地方で生きている人ならば、卒倒するような衝撃的事実などなにひとつ書かれていないと思う。しっかりした裏付け取材ができているため、日本にも大手企業を正確に報道することができるジャーナリズムがあるということを知って、安心する人が多いのではないか。

 本書で書かれていることは、他社でも起きている「普通の異常事態」だ。

 職場でのセクハラ、パワハラ、過労死、そして過労死裁判。労働組合が告発する非人間的な労働環境。これらの「普通の異常事態」がこれまできちんと報道されてこなかったことが異常なのである。

 「トヨタの闇」であると同時に「日本の大企業の闇」を報道した良書だと言ってよい。

 全日本国民必読の書である、と大げさにオススメしておきたい。

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