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『ボブ・ディランという男』デイヴィッド・ドールトン/菅野ヘッケル訳(シンコーミュージック・エンタテイメント)

ボブ・ディランという男

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「アメリカの地にボブ・ディランのうたが聴こえる」

 聴き手がボブ・ディランをどのように受けとめているかを知る最良の方法は愛聴盤を列挙してもらうことである。いや、この方法は前提に無理がある。ダウンロードやストリーミングの時代を迎え、リスニングは確実に「盤」と離れたところで展開しているからだ。もしかしたら、「アルバム」という概念さえなくなるかもしれない。つい先日、ディランの公式録音のすべてがCDボックスとUSBメモリーキーの形式で発売された。CDにして全42アルバム(47枚)の堂々たる全集である。ちなみにファイルの方は映像分も含めて18KBほどになる。したがって、正しい問いかけとしては、愛聴盤もしくは愛聴ファイルを挙げてもらうことになる。

 この質問のポイントは、(先ほど無効かもしれないといったばかりだが)複数のアルバムを提示してもらうことにある。おそらく多くの場合、近接した時期に制作された作品が並ぶと予想される。必ず選ばれそうなのが、“The Freewheelin’Bob Dylan”と“The Time They Are A-Changin”の組み合わせ。“Bringing It All Back Home”と“Highway 61 Revisited”の二つもかなり確率が高いだろう。中には“Slow Train Coming”と“Saved”、“Shoot of Love”のゴスペル三部作を選ぶ人もいるかもしれない。本書の中で引用されているクーパーズタウンのコンサート・アナウンス(2004年)は、こうした組み合わせの蓋然性を裏付けるものだ。

 「(前略)みなさん、ロックンロールの桂冠詩人を迎えましょう。60年代の対抗文化の希望の声、フォークをロックで手籠めにした男、70年代には化粧をし、物質濫用のかすみに姿を隠し、ふたたび現れてイエスと出会い、そして90年代後半、突然のギアチェンジをして、非常に強力な音楽を発表した人。みなさんボブ・ディランです!(同書410ページ)」

 クロノロジカルにコンテンツ化された紹介をディラン自身が望んだかどうかはともかくとして、彼は内外のロック雑誌の特集などで、このように整理、分析されて説明されることが多い。こうした傾向の裏側には、その発展の過程も含めて、ディランを予定調和的に受け入れようとする独善的な聴き手の存在がある。そこには、対抗文化の旗手がカントリー・ソングを歌うことへの嫌悪感があり(Nashville Skyline)、老いロックンローラーが今さらながらにクリスマス・ソング(Christmas in The Heart)を歌うことへの違和感がある。そんなとき、聴き手は、「あのときのディランはスランプだった」とか、「あのときのディランはどうかしていた」と思い込もうとする。多少説明を加えると、このような嫌悪感や違和感はディランのある側面を好む聴き手が、そうでない側面に接したときに生じることが多い。つまりディランにおいては、聴き手に理想のディラン像があり、それと異なったディランが提示されると拒否反応を起こす傾向があるということだ。

 本書は、プロローグとイントロダクション、それに続く全28の章をとおしてディランをトータルに描いた大著である。当初のタイトルが『ボブの脳』ということもあり、ディランの頭の中の探索が目標である(同書416ページ)。タイトルはその後、『ボブ・ディランという男(Who Is That Man?: In Search of the Real Bob Dylan)』に変わったが、先入観や前理解を極力排除してディランに取り組む姿勢、要所々々におけるディランの詩への適切な言及、関係者たちの豊富な証言をとおして彼をクローズアップさせる手法など、第一級の評伝に仕上がっている。ディラン研究には類書も多いが、本書は客観性の高さと文献としての信頼度から、ディラノロジスト(ディラン研究者)の教科書ともいえる存在である。

 本書はクロノロジカルにディランを追うが、それがあまり意味のあるアプローチでないことがやがて明らかにされる。ディランはスペリオル湖のほとりの町、ミネソタ州デュルースで生まれ、5歳のときに鉱山で有名なヒビングに移り、ミネソタ大学時代まで州内にとどまる。しかし、ディランにとってこのような過去は過去としての意味をもたず、アメリカ中西部も中西部としての地域的な意味をもちえない。それだけではない。ユダヤ系移民の子孫としての、ロバート・アレン・ジマーマンという本名もディランにおいては重要ではなく、後には、公民権運動とのかかわりさえも、初期ディランの熱狂的な聴き手が情熱を燃やすほどには、重きを得ていないことを本書は示す。

 ディランは、自分がオクラホマの生まれであると公言する。また、自分はイタリア系移民の子孫であるともいい、公民権運動時代の有名な歌を(それがどれほど高い地位にある者=ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の要請であっても)あえて歌わないときがある。ディランについて経歴詐称者であるとか、過去をつくり変える人間であるとか、そのときどきの気まぐれで行動する人間であるというのは容易い。だが、ディランにおいて過去はたんなる過去ではなく、常に再創造できる可能性を秘めた場である。ディランは現在を生きると同時に、過去をも生き、その過去は神話と呼ばれる世界に片足をかけている。そもそも「いま」を生きる人間があえて創造したものが神話である。歴史として語られる時代もディランには「いま」である。西部開拓の時代も南北戦争の時代も、そして聖書の時代さえもディランにとっては創造の現場としての「いま」である。

 アメリカの歴史がメイフラワー号から始まったわけではないことは周知の事実である。アメリカは神話としてメイフラワー号とピルグリム・ファーザーズを必要とし(大西直樹著『ピルグリム・ファーザーズという神話―作られた「アメリカ建国」』参照)、神に選ばれた人々を先祖にもつ国として自覚をもつことが求められた。アメリカはアメリカであると同時に、イスラエルであり、カナンの地でもあった。アメリカはそのように自らの神話と歴史と国を創造してきた。常に過去の歴史をアメリカの「いま」と共存させ、他の場所を「ここ」として読み替えてきた。マサチューセッツ湾植民地の人々が旧約時代の預言者エレミヤ(の嘆き)とともに生きたように、ヘミングウェイが初冬のパリに在って北ミシガンを生きたように、オバマ大統領がリンカーンキング牧師を常に内包しているように、ディランは、南部出身のブラインド・ウィリー・マクテルを、ウディ・ガスリーを、エルヴィス・プレスリーをわれわれの前で甦らせてきた。ディランはアメリカの「いま」と「ここ」を、歴史と国(州)の境界線を越えて「うた(詩・歌)」い続ける。

 本書が語るのはそのようなディランである。本書の28章は28のディランのパーツでもある。それぞれがどこかの章とつながり、読み終えたとき、ディランの全体像がみえてくる構造になっている。特筆すべきことは、日本におけるディラン研究の第一人者である菅野ヘッケルの優れた訳も相俟って、随所から著者と訳者のディランへの愛情が伝わってくることだ。このような著者と訳者に恵まれたディランは幸せであるといえるが、その愛情がディランの聴き手にも及ぶとなると、これはたんなる書物ではなく、ディラン宣教の書と呼べるだろう。

 本稿の文頭でディランの全集について言及した。ディランについては、たとえCDで購入したとしても、全アルバムをリッピングした後に、一曲一曲をファイルで自在に聴くことを勧めたい。ディランにおいては、ときに聴き手が、自分の手で(アルバムではなく)ひとつひとつの「うた」をつなげ、総合することが求められるからだ。

USBメモリーキー形式のボブ・ディラン全集はハイレゾ音源ではない点に注意されたい。CDレベルのFLAC format(FLAC44.1KHz)とMP3 formatで構成されている。

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