書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『謎の1セント硬貨 真実は細部に宿る in USA』向井万起男(講談社)

謎の1セント硬貨 真実は細部に宿る in USA

→紀伊國屋書店で購入

 東京から、妻の向井千秋さんの暮らすヒューストンへと出かけては、そこからアメリカのあちこちをドライブ旅行してまわるマキオちゃん(向井氏、とか、著者、と書くのはどうも居心地がわるいので、本のなかでのご夫妻のお互いの呼び名「マキオちゃん」「チアキちゃん」に倣い、こう書かせていただく)。


 1997年8月、ふたりはヒューストンから、おなじテキサス州の西部にあるビッグ・ベンド国立公園に向かおうとしていた。目的地へは、高速道路で西へと進むのが近道だが、マキオちゃんは地図上に気になる街の名を発見、予定を変更して寄り道していくことにする。行く先はクリスタル・シティ市。


 マキオちゃんは、ここがホウレン草の有名な産地であり、いかにもそれらしく、ポパイの像があるのだということを片岡義男の本のなかで読んで知っていたので、ぜひともそのポパイの像をみていこうじゃない、というわけだ。


 クリスタル・シティにおもむいたふたりは、市庁舎前に立つポパイ像との対面を果たすが、ここで思いも寄らぬ展開が。せっかく立ち寄ったのだからと、「ポパイの像の他に観光名所はあるか」と市庁舎でたずねてみると、なんだか様子がおかしい。おどろくほど無表情で愛想もない職員は、ただひと言「キャンプ」と。よくよく聞けば、それはキャンプはキャンプでも「インターンメント・キャンプ」(あるいは「コンセントレーション・キャンプ」)つまり強制収容所のことであった。

 外に出た私は、すぐにポパイの像に駆け寄った。白い円筒形の台座に記された文字を確認するためだ。やっぱり間違いなかった。このポパイの像がクリスタル・シティに立ったのは1937年だった。ということは、大勢の日系人がクリスタル・シティの強制収容所に送られてきたとき、このポパイの像はここに立っていたわけだ。

 ふたりは案内され、ただの更地となっているそのキャンプの跡地を見学する。帰国後、マキオちゃんはクリスタル・シティの強制収容所について猛烈に調べ、ここにはアメリカ国内の日系人だけでなく、中南米日系人、ドイツ人、イタリア人も収容されていたことをはじめ、さまざまな情報を得る。三年後の2000年、キャンプ跡地を確認するためにクリスタル・シティを再訪した。


 その後もさらにインターネットで、強制収容所関連のあるホームページを読んでいたマキオちゃんは、あるページに行き着く。トップに日本語で「仕方がない!」と書かれているそれは、テネシー州ナッシュビルの高校生たちが日系人強制収容所についてレポートしたものだった。そこでマキオちゃんは質問メールを送る。強制収容所について、調査した動機はなにか? 前から知っていたのか? 理解は深まったのか? そしてトップに「仕方がない!」と日本語で記した真意は?

 十五の章からなる本書は、マキオちゃんがチアキちゃんとアメリカのほうぼうへ出かけていったなかで、興味の惹かれたこと、不思議に思ったことを、おもにインターネットを手がかりに調べに調べ、わからないことをメールで質問し、受けとった返事を紹介する、という形式をとる。


 「アメリカの店舗ではよく星条旗を掲げているけれど、なかでもトヨタのそれは特別大きいみたい、なぜかしら?」「サウスウエスト航空の職員はみなラフな服装なのに、なぜパイロットだけは制服を着ているの?」「第二次大戦中にアメリカ兵のあいだで流行した落書き“Kilroy was here”(「キルロイは来たぜ」)のキルロイって誰のこと?」「アメリカのマクドナルドは、ハンバーガーを買わない人にもトイレを開放しているって本当?」などなど。

 さて、ポパイ像から強制収容所という瓢箪から駒的道中の、そもそもの目的であるビッグ・ベンド国立公園は、かつてマキオちゃんがひとりで訪れ、「その自然の美しさに圧倒」されたので「女房にも素晴らしい経験をさせてあげたかった」と書くように、メキシコとの国境を流れるリオ・グランデ川沿いの絶壁、荒涼たる砂漠と山々を有するアメリカでも大きな国立公園らしい。そんな大自然を目の当たりにせんとする道中で、ポパイの像とはこれいかに。

 アメリカは広大だ。面積は日本の25倍ときている。とにかくダダッ広くて何もないという感じ。ニューヨークやシカゴなどの大都市は広大な海に浮かぶちっぽけな島みたいなもんだ。で、大都市だけでアメリカを理解しようとするとトンデモナイ間違いを犯すことになる。島から海に乗り出さないと、海のことも島のことも正しく理解できないのだ。

 大都市だけではアメリカはわからない。これはよく言われることだ。けれども、大都市以外のアメリカ、その広大な海のなかでマキオちゃんが注目するのは、とても小さくて些細なこと、ふつうの人が気にも留めない、あるいはどうでもいいと思うようなことばかりである。


 医師であるマキオちゃんの専門は病理診断。患者さんから採集した組織を顕微鏡で仔細に観察し、病変を見定めて診断を下す。小さな見落としが、人の命に関わってくるわけだから、アメリカでのこのマキオちゃんの細部へのこだわりぶりにも頷けるというものだ。そのずば抜けた観察眼と、ちょっとした違和感にも食い下がろうとする熱き探求心には脱帽する。そして、答えが見つかればそれでおしまいというのではなく、自らの興味を忘れずに心に残しつづける持続力と行動力にも。先のクリスタル・シティへ、強制収容所の跡地を確認するために、さらに二度も訪れているというマキオちゃんである。


 そしてそして、ポパイの像ときけば、面白そうじゃないの、と二つ返事のチアキちゃんはなんとステキな女房、同行者だろうか。そのスーパー・レディっぷりはマキオちゃんのこれまでの本のなかで承知しているけれども、好奇心旺盛すぎるこの旦那の性分を、いつもにこやかに尊重し、フォローし、しかし、関わりすぎることもなく見守っている様子が本書にはいたるところにみられる。


→紀伊國屋書店で購入