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『小さな生きものたちの不思議なくらし』甲斐信枝(福音館書店)

小さな生きものたちの不思議なくらし

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 受粉を手助けしてくれる蝶の到来を待つオオイヌノフグリ、きゃべつの葉裏で静かに成長するモンシロチョウの蛹、田んぼのあぜ道に燃え立つように咲くヒガンバナ、綿毛を風に乗せてまき散らすオオアレチノギク、捕獲したアオムシを巧みに丸めて飛び立つアシナガバチ、蜜を求め群れ咲くレンゲに集まった蝶、みつばち、テントウムシ


 どこにでもいる小さな生きものたちの生のいとなみを、絵と言葉で伝える。本書は、科学絵本作家の甲斐信枝が、福音館書店の「かがくのとも」や「こどものとも」シリーズから出した著作の、折り込み付録に書かれた「作者のことば」を集めた文集である。

 これまでに出した本は三十冊あまり。一冊の本を作り上げるまで、作家は、畑や草むらにしゃがみ込み、一匹の虫や一本の雑草を辛抱強くみつめつづけた。一九八五年に出された『雑草のくらし ―あき地の五年間―』では、比叡山のふもとにある畑の一角を更地にし、五年間の雑草の移り変わりを記録した。幼いころに遊んだ田園での草花への興味は、歳を重ねてなお、作家をとらえてやまない。

 私は、絵本づくりでありますので、いきおい子どものころの気持を掘り返す必要があります。そして掘り起こして、反芻して、反芻して、いったい、私は子どものころに何を欲しがっていたのだろう、どんな気持で暮らしていたのだろう、ということを考えます。そういうときに登場してくるのが、いつも草なんです。私はいきおい草をテーマにして、小さい方たちに語りかけるというのが、自然な成り行きであろうかと思われます。

 本を読めば得られる知識をたやすく信じない。作家は、頑固なまでに「無知な私」のまますべてをはじめようとする。読んだり、聞いたりして得た知識を流すのではなく、自らの眼でみ、感じ、たしかに得たものだけを伝えようという作家の姿勢は、四十年の作家生活のなかで、一度として崩れることはなかった。

 絵本に描かれるのは、作家がその眼でたしかに見知った植物や昆虫の生態であるが、そこに作者自身の姿はなく、つまり作家は、絵本を読む子どもたちと、そこに描かれた自然とのあいだの橋渡しの存在、眼のかわりにすぎない。しかし、子どもに絵本を買い与える大人のために書かれたこれらの文章のなかでは、絵本からだけでは知り得ぬ作者の、観察者としての姿が垣間見られる。きゃべつの葉に降りそそぐ雨粒にじっと耐えているモンシロチョウの幼虫、それをいつまでもみつめつづける作家もまた、きゃべつ畑で何時間と雨に打たれているのだ。

 終齢の青むしは降りしきる雨をついて、畑のべた土を点々とからだにくっつけながら必死に畔を登り、おおばこの葉っぱをわたり、細い草の茎を頭でていねいに撫でながら登り、時には草のてっぺんから、からだを空中に泳がせながら足場を探して隣の草へ移動して、痛ましいほどに歩きつづけます。

 あるいは夜中から明けがたにかけて、夜の虫たちをじっとみつめる作家がいる。

 月が中天にのぼった午前一時、きゃべつ畑は、夜盗虫、ナメクジ、カタツムリたちが、夜露にきらきらからだを光らせながら音もたてずに活躍していました。夜がふけるにつれて、きゃべつの上に降りた夜露は、霜のようにうっすらとした白さからまるい玉の白露にかわり、青むしも霧を吹きかけたように全身びっしょり梅雨にぬれて白く光りながら、時どきひっそりときゃべつをたべています。

 余分な贅肉のない、美しい文章である。そこに作家の、身近な自然に対する畏敬の念と慈しみの心があふれている。

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