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『ふしぎ盆栽ホンノンボ』宮田珠己(講談社文庫)

ふしぎ盆栽ホンノンボ

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 ハノイのホテルのテラスで、著者はそれふと目にしたのだった。タイルばりの洗い桶風のものに水がはられ、そこに設置された岩のところどころには植物が生えており、あちこちに陶器製のミニチュアの建物や人形が配置されている。


 このとき著者は、ベトナムという国に退屈していた。旅がつまらなくなったら、目の前ではなく足元に、全体ではなく細部に目を向けることにしているというこの旅人は、それゆえ、この不思議な造形物を〝発見〟してしまったのである。


 「ホンノンボ」。ホンは島、ノンは山、ボは景を表すことばだという。水をはった鉢のなかに岩が置かれ、植物とミニチュアの建物や人形があしらわれる。


 盆栽は植木に自然の風景を見出す感性が介入することで発展した。中国の盆景に由来するこうした造形物が、日本以外のアジアの国にもあることはうなづけるが、やはりそれぞれのお国柄によって、おおまかなスタイルは似ていても、その趣はずいぶんと異なる。著者がホンノンボに魅せられたポイントはそこにあった。ホンノンボ探求のため、著者はベトナムを幾度も訪れ、さらに中国、香港にまで足をのばす。


 日本の盆栽にくらべると、ホンノンボにはより「地形」が感じられると著者はいう。日本にも盆石という、石を愛でる趣味はあるが、日本の盆石の抽象性に対し、ホンノンボは具体性が強調される。自然の石をそのまま持ってくるだけでなく、コンクリートで階段を付けるなどの細工をしてしまうこともある。「見立て」に徹する日本の盆石のストイックさよりも、こういう風にしたいからこうしちゃえ、的な自由さがいいのだと著者はいう。

 私には、ホンノンボは盆栽よりも山水画の世界に近いように思える。ホンノンボに岩山や岸壁といったはげしい地形が現出しているのは、山の多い日本とちがい、ベトナムの地形が平坦であるためではないかと著者は分析しているのだ。つまり、山水画がそうであるように、ホンノンボに表現されているのも、どこにもない非現実の景色なのである。真面目なのか不真面目なのかわからぬ緩いムード、まるでマンガのようにコミカルな人物や、塔や庵がちょこんと点在しているのも、なんだか似ている。

 岩に配置するミニチュアの種類の豊富さも、著者の愛するホンノンボの自由さに一役買っているかもしれない。五重塔、寺、庵、イスラム風寺院、橋、太公望、天女、囲碁をする老人、蟹、虎……。この文庫版では、ホンノンボの写真だけでなく、このミニチュアの写真も、単行本よりいっそう見やすくなって楽しさが増している。

 ベトナムの人の生活に密着し、宗教的な意味合いも強いというホンノンボ。そのおおらかさ、ざっくばらんさは、ベトナムのホンノンボが、日本の盆栽のように純粋な趣味、大袈裟にいうならば芸術に昇進しきっていないせいでもあるだろう。それゆえにうまれるホンノンボの「隙」が、著者を惹きつける。

 日本庭園が好きだという著者だが、これをどう見たらよいのか、長らくわかりかねていた。「伝統文化という巨大な存在が、庭には深い深い意味があるのだ、お前ごときにやすやすと理解されてたまるか、とでもいうように、眼前に立ちはだかっているかのように思えてならなかった」。ところがあるとき、高野山金剛峯寺の石庭で、もしこの石たちが巨大な岸壁だったら、という想像をしたとたん、日本庭園が身近に感じられるようになったのだという。

 伝統だ芸術だといわれると、ものを知らない素人はつい萎縮してしまうが、庭というものをひとつの景色として、そのなかにいる自分を想像したとき、ようやく庭のなんたるかがわかったというのだ。

 本来庭とはそのようにしてつくられ、そのように見るべきもの、つまり、美術館で絵を見るようにそのものを対象化するのではなく、それを見ている自らも含めた環境すべてを楽しむものなのだろう。しかしそれが、権力の象徴になったり、伝統であるとして大事にされたりし、芸術としての制度化が進むと、鑑賞者もうかうかはしていられなくなる。なにかを「わかる」ことを強要されているような気がし、結果、そのものを味わう術をなくしてしまう。

 作り手の思うがままに細工され、アレンジされるホンノンボは、

 (……)芸術性などははなからゼロだと思われるけれど、そういうことをくりかえしているうちに、ホンノンボ全体がつくり手の糸していなかった異形性を帯びていったり、奇跡的な風景が現れたりするところが面白いと思うのである。


 著者はことに、伝統や芸術の、わかる人にはわかるだろう的な排他性に嫌悪感を抱く質らしい。かくあるべし、というものの見方に抵抗し、もっとちがうものの見方、見え方への欲求が、著者に旅をさせている。


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