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『名著再会 「絵のある」岩波文庫への招待』坂崎重盛(芸術新聞社)

名著再会 「絵のある」岩波文庫への招待

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 本好きの友人にきくと、たいていみな、うんと小さな子どもころお気に入りだった思い出の絵本があって、自分から欲しいと申し出るまで、親から本を与えられた記憶のない私にはうらやましい話である。


 しかし、そもそも私は絵本にあまり興味を示さない子どもだったのかもしれず、絵本に親しむことのなかった子ども時代を親のせいにばかりはできないのかもしれなかった。


 こう書くと、ますます自分が絵本に疎い子どもだったような気がしてきた。思えば、本を欲しがりはじめたころの私の興味はもっぱら文字にあった。

 子ども向けの文庫などにはよく、対象年齢が記されており、低学年から高学年にあがるにしたがって漢字が増え、活字も小さくなってくる。私は実年齢向けのものではもの足らず、自分よりも上級向きのものを読みたがった。小さな文字がページにたくさんならんでいる本のほうがありがたみがあった。

 また、色刷りの挿絵がふんだんに入った児童文学の本もあるが、モノクロの挿絵のほうが大人っぽくて好きだった。同じ墨で刷られた活字と絵とは、元素は同じでも構造がちがえばまったく別物になる同素体みたいなものだと思う。もちろん、別丁で美しいカラー図版が挟まれているのは楽しいものだけれど、私は活字のならびのなかに絵が入っているほうがわくわくするという質である。

 そんなページの風景はまさに、本書にずらりと紹介された「絵のある」岩波文庫にぴたりと重なる。

 著者が、「絵のある」という括りで集めた岩波文庫はおよそ120タイトル。教養主義的な印象のつよい岩波文庫だけれど、挿絵や図版が充実しているとは、本好きならばきっと思い当たるだろう。ページをめくれば、どこかにかならずそんな本がみつかるはず。たとえば、いちばん最初に紹介されている『ホフマン短篇集』。

 ペラペラとページをめくり、挿入されているイラストレーションをチェックする。その絵は、ボロ糸くずというか、天井裏のおびただしい蜘蛛の巣のような線。ペン画だろうか。不吉で不安な雰囲気。惨事の予感もある。いや予感ではなかった。これは凶々しい惨事そのものだ。「砂男」に添えられたイラストレーション。

 ここにあるように、「ボロ糸くず」のように錯綜した線の集合によって描かれた挿絵は、ホフマンの作品から発するまがまがしさとともに、私のなかに忘れられない印象を残している。これは私がはじめて買った岩波文庫でもあるので、余計に思い出ぶかい。

 ほかには、正岡子規『仰臥漫筆』、『摘録 劉生日記』、木村荘八『新編 東京繁昌記』、『小出楢重随筆集』、鏑木清方『明治の東京』などが私にとっての「絵のある」岩波文庫。なるほどじつに、岩波文庫は「多彩で充実した貴重な挿絵の展示館」だ。

 もちろん、未知の本との出会いも。「絵のある」というテーマが設定されてはじめて、手にとることも、読むこともなかったであろう本との出会いが、著者にもたくさんあるという。自分が興味のある本にしか興味がない、という状態に倦んでいる身には、爽快な読書案内。書店サイトが教えてくれる「おすすめ」とはちがった書物の連関に誘い出してくれる。


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