書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『ザ・ママの研究』信田さよ子(理論社)

ザ・ママの研究

→紀伊國屋書店で購入

 先日観た映画〈ブラック・スワン〉は、「白鳥の湖」の主役に抜擢されたバレリーナが、そのプレッシャーに絶えかねて破滅してゆくさまを描いたスリラー。世代交代の波に押しやられた前・プリマの絶望、配役をめぐってのバレエ団員同士の争いなど、女たちの嫉妬が渦巻くなか、ヒロインはしだいに追い詰められ自分を見失ってゆくが、彼女がなにより怖れ苦しんでいるのは、母親の猛烈な干渉だ。


 自身もかつては踊り子で、妊娠を機にそのキャリアから降りた母。女ひとりで娘をバレリーナに育て上げ、レッスンを全面的にサポートし、うるさいくらいに世話をやき、その実、娘が一人前になって成功することに我慢がならない。

 真面目で練習熱心な娘は、踊りのテクニックは正確そのものだが、純粋可憐なホワイト・スワンはともかく、悪の化身である妖艶なブラック・スワンを演じるには表現力が追いつかない。仕方あるまい、彼女は母親の言うなりのよい子で、その上、成熟した女になることを母に阻まれているのだもの。

 だから、母親のチョイスでしつらえられた娘の部屋は、少女時代から変わらず、ぬいぐるみや人形がひしめいているし、おそらくこれも母親にあてがわれたのであろう外出用のコートは、成人女性には不釣り合いな、ベビーピンクの子どもっぽいデザインなのだ。

 めでたく主役に選ばれた娘を母親が祝うシーン。母娘ふたりではとうてい食べきれないような大きなケーキ(それも、白とピンクのクリームに彩られた上でバレリーナ人形が踊っているという特注品)を買って帰ってきた母は、それをフォークにこんもりと乗せて娘の口元に差し出す、と、カロリーを気にした娘が一瞬、「少しだけね」とことわりを入れるや否や、それまで娘の幸運を喜んでいたはずの母親の満面の笑みは剥がれおち、鬼の形相でケーキをまるごとゴミ箱へ。あわてて詫びる娘……。

 本書は、〈ブラック・スワン〉のように、娘が究極の母離れという悲劇を演じないよう、なるべく早く母親というものを「対象化」せよと娘たちを導く。すべての娘にとって、「ママ」といったらほかでもない、「うちのママ」「私のママ」であるその女性に「ザ」をつけて、すこし距離をおいて眺めてみよう! というわけだ。

 ママを「対象化」するための手がかりして、まず、自分のママのタイプを割り出すチャートからこの本ははじまる。

 ママのタイプは七つに分類されていて、「プライドめちゃ高 超ウザママタイプ」(ブラック・スワン母はこのタイプ)、「明るさスゴ盛り スーパーポジティヴ・パーフェクトママタイプ」(あんまり元気すぎてこっちが疲れる、弱音を吐けない、甘えられない)、「一生「姫」のおしゃれセレブ 夢みるプチお嬢様タイプ」(近年とみに増加している模様、子どもはアクセサリーくらいにしか思ってない)、「意味不(明)でまじてホラーです 恐怖の謎ママタイプ」(ひらたく言うなら虐待する母、「ホラー」と言うが、映画にするのもキツイ)などなど。

 母親という立場にいない私は、娘の眼でそれらのママのタイプをつい眺めてしまう。これによると、「どちらかというと家にいるより外が好き」ではなく、「毎日ごはんを作ってくれ」て、「パパとはまあうまくやって」おり、「あなたの話やグチを聞いてくれる」我が母は、「ちょいダサ、退屈、ちょー平凡! フツ~すぎママ」となる。

 一昔前の母親というのは、たいていこのタイプだったのではと、自分の子ども時代を振り返り思ってしまう。当時の感覚をもってすると、「お母さん」というのは、専業主婦か共働きか、教育ママか放任主義か、肝っ玉おっかさん風かハイソなママ風か、くらいのちがいしか思い浮かばないのだ。

 しかし、この本にあるママたちのタイプを大人の眼で眺めてようやく気づくのだ。そうか、母親の、トータルな人としての個性ではない「母親としてのタイプ」を見極められるのは、当の子どもによってしかできないことなのだと。

 カウンセラーである著者は娘たちに語りかける。

 あなたよりずっと年上の女性たちが、大勢カウンセリングに訪れる。あなたのお姉さんやママほどの、ときにはおばあちゃんくらいの年齢の女性たちが、自分のママとの関係で困れ果てているからだ。ときには死にそうになってカウンセリングにやってくる女性もいるほどだ。

 そう、娘と母のやっかいな関係はいまにはじまったことではない。女友達の抱える困難のおおもとに、彼女の母親の存在が重苦しく影を落としているのを、これまでどれだけ見てきたことか。たとえ大人になって、母親を対象化できているように見えても、母との関係が長く尾をひきずって、彼女たちにつまらぬ思いをさせることはいくらでもある。だから、なるべく早い時期に対処することが大事なのだろう。私たちがまだ少女だったときに、こういう本があったらよかったのに。

 また、大人として読んでこその反省もあった。どんなに理不尽で不可解に思えることでも、いずれは納得し、謎が解けるときがくる(もちろん、いくつになってもわからないことも沢山ある)と、つい考えてしまうもの。けれども、その感覚を子どもに対して採用してはならないということだ。大人である他人に対しては当たり前ともいえることを、子どもに対しては忘れてしまう。そのことは、しかと心にとめておかなくては。これは、この本が子どもに向けて、なるべくかみ砕かれたことばで書かれてあるからこそ、気づけたことだろうと思う。


→紀伊國屋書店で購入