書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『Made by Hand ポンコツDIYで自分を取り戻す』マーク・フラウエンフェルダー 金井哲夫・訳(オライリー・ジャパン)

Made by Hand ポンコツDIYで自分を取り戻す

→紀伊國屋書店で購入

 これは、庭で野菜を育て、愛用のエスプレッソ・マシンを改造し、ニワトリを飼い、シガーケースでギターを作り、木でスプーンを掘り、紅茶キノコを仕込み、養蜂に挑戦する男の勇猛果敢かつユーモアにあふれた活動の記録である。


 著者は、雑誌『Make』(日本版もあり)の編集長。『Make』は、「テクノロジーを自由な発想で使いこなす」ユニークな物作りや、DIY愛好家たちに役立つ記事を集めた情報誌である。


 雑誌作りを通じて、彼は多くのDIY愛好家、特に「アルファ・メイカー」(Alpha Maker')と呼ばれる「クールな物を設計して作る研究と実践を重ねている物作りの第一人者たち」と出会う。それをきっかけに彼は、過去にした失敗ゆえに敬遠し、苦手意識すら感じていた物作りの世界に足を踏み入れることになるのだ。

 彼らの生き方は、新鮮であり刺激的だ。DIY愛好家たちは、自分自身や家族が使ったり、食べたり、着たり、遊んだりする品々を、堂々とした自己責任において、作り、管理している。彼らはむしろ、自分たちを取り巻く物理環境を、創造し、維持し、改良するという困難を楽しんでいるのだ。

 そんなDIYの世界を出会うことで、DIY活動が、より豊かで意味深い人生、周囲の世界と深く関わり合える人生にとって、中心的とは言わないまでも、とても重要な役割を果たすことに、私はようやく気がついた。この雑誌を通して知り合ったアルファ・メイカーたちから、できるだけ多くの事を学びたいと私は思った。彼らの教えを自分の人生に役立てたいと思った。

 彼がこうした境地に辿り着くまでには、あるひとつの経緯があった。ITバブルのあおりで、フリーライターの仕事が激減してしまった彼は、生活環境を変えようと、妻とふたりの子どもと共に、二〇〇三年、南大西洋のラロトンガ島に移住する。収入が減ったことによって考えなくてはならないのは、お金の使い方ではなく、時間の使い方についての問題ではないかと彼は考えたのだ。

 既製品の娯楽や、遊園地の乗り物や、ショッピングモールでの買い物や、高速道路の渋滞や、絶え間なく届く電子メールといった環境で、本当に子どもを育てたいのか。どこかもっとましな生き方が、私たちのことを待っているのではないだろうか。

 こうして、家や車を売り払い、家族四人で島暮らしをはじめるのだが、四か月半で挫折。ふたたびロサンゼルスへ舞い戻る。

 私たちの問題は、ロサンゼルスでの生活に起因しており、それが飛行機に乗って一緒に来てしまったことだと考えた。つまるところ、私たち自身が問題だったのだ。いわゆる楽園に移り住んだところで、何も変えられない。

 この苦い経験と、雑誌の仕事のなかで出会うDIY愛好家たちの生き方を通じ、彼は発見する、DIYこそが「 私がスローダウンでき、自分の手を使い、周囲の世界と意義深い形で深く関われるようになる」人生を創り出すのだと。

 

 家庭菜園を作るため、庭の芝生を根絶すべく四苦八苦したり、ニワトリをコヨーテから守るために苦労したり、ミツバチを飼うのに妻の反対にあったり、彼のDIY生活には何かと困難がおおい。特に器用でも、創意工夫のアイデアに満ちてもいない人間が、たどたどしい手つきで奮闘する姿にはほほえみを誘われる。ただし、彼が敬愛し、各章で紹介される、それぞれの道に精通した物作りの達人たちも、最初からすべてに精通していた人ばかりではないらしい。

 彼らの秘密は、彼らが何か特別なものを持っているというよりは、むしろ何かを持っていないことにある。それは、失敗する恐怖感だ。ほとんどの人間は失敗を恐れる。そのため、自分の力量を超える技術を要することには手を出そうとしない。

 彼の出会ったDIY愛好家には、高等教育を受けていない人の割合が多いという。彼曰く「彼らは教育システムから脱出できたラッキーな人たち」であり、数値化された成績で評価されることがなかったからこそ、失敗を恐れず、むしろ失敗を糧にして、物を作りだしてゆけるのだと。

 なるほど。それだけで説明はできない気もするが、たしかに教育システムにどっぷりはまって、なるべく無駄のないルートで人生を歩んできた人よりは、そうでない人のほうが自らの頭と手を使う術には長けているかもしれない。スピードや効率が尊ばれる社会では、失敗をくり返してまで自分の手を煩わせるのは無駄なこと。専門家にまかせたり、必要なものは買ってすませればいい。

 過去にした失敗に懲りて、DIYすることを放棄してきたこれまでの生活から脱却し、果てしのない消費とスケジュールに追い立てられる生活をダウンシフトすべく、著者はDIY生活にとり組むわけだが、彼の動機には、ごくシンプルなチャレンジ精神や、達成感や充実感、DIYする自分への他者からの尊敬、その成果を共有することで得られる人とのつながりや癒し、などへの欲求ももちろんある。消費の否定や環境への配慮といった大儀にかたよらず、それを隠していないところがいい。

 DIYは、日本では日曜大工的なものを指すことが多いが、その守備範囲は生活のあらゆる場面におよぶ。ガーデニングや家庭菜園、養鶏、養蜂、保存食作り、家電や生活用品の修理・修繕、編物や木工といったクラフトなど、その内容は幅広い。

 ただし、先にあげたアルファ・メイカーと呼ばれる人たちは、工学技術を駆使して、機械いじったり、何ものかを発明・製作する人のことを指している。米語の「ティンカー」(tinker)とは、アメリカのメイカーたちがよく使う言葉で、機械をいじくりまわしたり、何かの仕掛けを発明するという意味だというが、それに相当する日本語がみつからない、と訳者のあとがきにはあった。

 日本にも、機械いじりが好きだったり、「町の発明家」といわれるような人はいるけれど、アメリカほど一般的ではないのだろう。このDIY文化は、その愛好家の大多数を占める中間層の人たちが、さまざまな電動工具を所有したり、作業をするためのガレージや地下室というスペースをあたりまえに持てるアメリカならではのものだろう。

 『Make』は、一九四〇年代から六〇年代の、アメリカのDIY黎明期のDIY雑誌をモデルとしているという。だから、「ティンカー」することによろこびを感じるアルファ・メイカーは、アメリカの郊外化が進んだ時代に出現した人たちだ。そしてその担い手のほとんどは男性だろう。

 本書の帯に、「「Makerムーブメント」を主導する雑誌『Make』編集長」とあるように、DIY文化は、かつての隆盛ののち、消費することにのみ忙しい人々によって忘れられ、いったんは低迷し、近年ふたたび注目されるようになったのだ。

 『Make』には一時期、『Craft』という姉妹誌があった(現在はウェブマガジンになっている)。おなじDIYでも、こちらは裁縫や編物などの技術を使った物作り、手芸や工芸といった分野を扱う雑誌だ。編集長は著者の妻。本書のなかで、この妻はつねに夫のいちばんの批評者としての存在感を放っていたが、夫の作る『Make』誌がリードするムーブメントに対し、妻の『Craft』から発する、女によるDIYの現状も気になるところである。

 


→紀伊國屋書店で購入