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『東京バス散歩』白井いち恵(京阪神エルマガジン社)

東京バス散歩

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 京都という、平坦な碁盤の目状の町に長らくいた。移動手段はもっぱら自転車、バスを使うことはあっても、それは大抵、大通りをまっすぐに進み、一度だけ直角に曲がってさらにまっすぐ、はい到着! ただひたすら、「運ばれている」というふうで味気ないものであった。


 いっぽう、起伏が激しく、町なみもめまぐるしく変化する東京のバスは、まるで遊園地のアトラクションに乗っているようなのだった。坂の多さに負けて自転車にすっかり乗らなくなり、歩いていけるところへはなるべく歩き、そうでなければ、時間に余裕のある限りバスで移動したい、と願う今日このごろ。そんな私が待ち望んでいたのはこういう本である。

 本書では、東京を走るバスの10路線のルートが詳しく解説される。通りの性格や車窓の景色の移りかわり、乗客の様子。もちろん、停留所近辺の見どころや店も丁寧に紹介されているが、まるで著者とともに乗車しているような気分を味わえるエッセイが何よりすばらしい。東京のガイドブックは数々あれど、点よりも線、つまり移動すること自体の楽しみを体感できるものはそうはない。

 筆頭に登場する「都02」という路線に、最寄りのバス停があることも私をうれしくさせた。錦糸町から御徒町、春日を経由して大塚へといたるそれは、本書曰く「都バスの〝エースナンバー〟 下町から山の手へ夢のワープ」。なんだか自分まで褒められているような気に。

 私にとってこの路線を使うことは、あくまで日常生活の一環なのだが、本書にあたり、バスに乗るためにバスに乗りたい、の気持ちは高まり、降りたい停留所、行きたいスポットもたくさん知り、さしあたりのお出かけの予定は立った気がしている。

 ところで、これに乗って錦糸町へ行くようになってからというもの、それまでの、錦糸町総武線の駅を起点としたところ、という認識が消えた。

 町の印象というものは、そこにいたるアプローチも含めて作られるものかと思う。たとえば同じ町でも、JRと地下鉄、どちらを使うかで降り立ったときの感じは変わりはしないか。

 バスならなおさら、本書の導入部分で著者が言うように「地続きの経過」を体験できるので、こんなふうにして、この町へたどり着けるのか、という発見が、それまでとはちがう町へのまなざしを開いてくれる。

 「あなたの頭のなかにある東京は、どんな地図を描いてるだろうか。」

 こんな問いかけから本書ははじまる。人それぞれの東京の地図が無数にある、そう想像するのはなんと楽しいことだろう。

 住まいを中心に半径約三キロ圏内というおそろしく狭い範囲で生活している私の東京地図は、まだとても小さくまずしい。少し離れたところへ行くのには、地下鉄の路線図をたよりにするばかり。そこにバスという移動手段がくわわり、それまで通ったことのないルートを知ることで、私の地図に密度を与えられたらいいと思う。

 鉄道路線で描いた「東京」という都市の輪郭に、バスというペンを使ってディテールを描き足してみよう。上手に描けば、きっとあなたの好きな街と街がつながって、自分だけの「東京」が現れるはずだ。頭のなかの地図をどんどん更新して、この大都市を縦横に楽しんでほしい。

 近郊からたくさんの人が集まってくる東京のような大きな都市では、通勤通学では鉄道での移動が当たり前のこと。おおくのひとにとって、東京地図の基準となっているのは鉄道の路線だろう。ならば、最短最速である必要のないときには、バス移動で未知のルートを体験してみてはどうか。こんな行きかたもあるんだ、という気づきは、ふだんの町の見方もまた変えてくれるだろう。

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