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『世界のかわいい刺繍―世界各地の民芸品、アンティーク、フェアトレード、作家の刺繍』(誠文堂新光社)

世界のかわいい刺繍―世界各地の民芸品、アンティーク、フェアトレード、作家の刺繍

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 下着デザイナー・鴨居羊子の初期の作品(下着会社チュニックの商品)には、鴨居自らが刺繍をほどこしたスリップやショーツがあったという。下書きなしで、薄い布地に直接チクチクと針を刺していったというのは彼女のデッサン力と手先の器用さゆえだろうが、そこには既成の図案そのままにする刺繍へのアンチテーゼも含まれていたようだ。


 刺繍といえば、編物とならんで女がするホビー、手芸の一大ジャンル。それらの技法と図案による手芸の本は明治のころから山と出されている。女学生のころ、兄にプレゼントされた中原淳一デザインの日記帳にいまひとつぴんとこなかった、つまり女向けのお仕着せには反発心をおぼえずにいられない鴨居にとって、手芸書をたよりにするものづくりに面白味を感じられないのは当然のことだった。何事においても型破りなのが彼女のウリなのであるから。

 けれど、これなら鴨居もよろこびそう、と思える刺繍本が本書。旅をすることによって創造力をかき立てるのが習わしのようだった彼女は、世界の民芸からデザインのヒントを得ることもあっただろうから。「世界各地の民芸品、アンティーク、フェアトレード、作家の刺繍」が目白押しのページはどこを開いても、その針目に目を奪われてしまう。

 ポルトガルの女性が恋人に贈る愛のメッセージを綴ったハンカチ。難民キャンプの子どもたちのために、モン族の刺繍で作られた民話の絵本。古布を重ね、補修と装飾を兼ねたランニングステッチで被われたインドのカンタ刺繍。ラフィア糸による幾何学文様が、素朴かつモダンな風合いを醸し出すコンゴの草ビロード。暮らしの必要がいつしか様式となり、さまざまな物語や祈りの言葉が文様となり、ひとつの美しさをかたちづくっている。どれもこれも、見飽きることがない。

 ここには、伝統的なフォークアート、刺繍作家の作品、土産物やフェアトレードの商品、博物館に所蔵されもよい(かもしれない)アンティークなどが隔たりなくならんでいて、それもまたよい。コラムも充実。「作家がつくる世界の刺繍」と題したページでは、ブルガリア刺繍、ブータン刺繍、アメリカンクルーエル刺繍、モロッコベルベル刺繍などを、現地に滞在していたことなどがきっかけで出会い、これを習得し広める活動をしている日本の作家たちに取材している。こんなにもさまざまな世界各地の刺繍に、その気になれば身近に触れることができる国は日本くらいかもしれない。

 ひと針ひと針という工程に要する時間、たとえ作家によるものだとしても、伝統的な刺繍をもとにしているかぎりそこには個を超えた表現があること。私が刺繍に惹きつけられるのは、そうした手仕事というものに対する素朴な感心による。もうひとつには、目でみるだけでなく、触って感じられる(本に載っている写真は触ることができませんが、想像することはできる)という、具体性というか個別性というか、「それぞれ」であることに価値を認めるからなのだと思う。

 ……などというのは少々おめでたい感想なのかもしれない。というのも以前、上海の元フランス租界のおしゃれ地帯にあったショップの片隅で、少数民族の女性達が刺繍を(おそらくその店のデザインにのっとって)しているのを見、そこの服が日本円に換算してもギャルソンが買えるくらいの値段だったので、楽しい旅行気分にどっと水を差されたのを思い出したからであった。

 本書は、作り方を教授する手芸書ではなく、見て、読んで楽しむ本。とはいえ、手仕事へのモチベーションがあがるという点ではどんな刺繍教本にもまさるのではないか。こうして、各国の刺繍を一同に並べて見ることのできる私たちは、これらの刺繍を育んだ場や歴史とはかけ離れたところにいるけれど、それなりに「それぞれ」の何かはできるかもしれない。といいつつ、結局私は最後まで何もしなさそうな気が……ああ、女と手仕事ってむずかしい。


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