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『江戸の献立』福田浩 松下幸子 松井今朝子(新潮社)

江戸の献立

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 日本橋「にんべん」の髙津家に伝わる『家内年中行事』、尾張徳川家の御畳奉行の残した『鸚鵡籠中日記』、水戸光圀が生母のために建立した久昌寺住職・日乗上人の日記、伊勢参りの道中記、大名の献立表等、江戸時代の記録に残された献立がよみがえる。


 それらの文献の監修と料理の解説は江戸料理研究家・松下幸子、料理の再現は大塚の料理屋「なべ屋」主人・福田浩が担当。松井今朝子がこれを食し、当時の人びとの食と、そこから見える暮らしと世相と思いを馳せる。それにしても、再現された料理たちのなんと美しく、おいしそうなことよ。


 『石城日記』は武州忍藩の下級武士・尾崎隼之助が記した絵日記。上司に意見書を出したために十人扶持に降格させられた隼之助が、友人宅に招かれてご馳走になったのはこんな献立だった。時は文久元年十一月、幕末の慌ただしい中での晩餐のひとこまである。

 芹したし

 大根里芋煮附

 酢たこ

 鶏ねき鍋

 ふりさしみ

 ゆとうふ

 からし茄子

 きくみ

 人参

 メインディッシュは「鶏ねぎ鍋」。京都祇園の割烹料理屋に生まれた松井今朝子が想像するのは肉質の柔らかな〈「かしわ」(関西では鶏肉をそう呼ぶ)の水炊き〉だが、江戸では硬いしゃもが好まれたとか。味つけは、醤油酒味醂のすき煮ふうである。

 「鶏ねぎ鍋」と簡単にいうけれど、食材の調達には手間のかかった時代のこと、この晩餐のホスト宅では庭で飼っていたものをしめたのではないかと松井今朝子は書く。

 さらに、現在の埼玉県行田市である武州忍藩という内陸の土地で、酢だこやブリの刺身が供されたことについては、「銚子の湊で水揚げされ、利根川を遡って忍藩に届けられたのでは」と、大河に船の行き交う江戸の風景を思い描く。たいへんなご馳走。読んで字のごとく、食材集めに奔走することこそ、なによりのもてなしなのである。

 もちろん、それを調理するのにも、いまとは比べものならぬ手間ひまのいった時代である。本書にたびたび登場する「煎り酒」なるもの。梅干や鰹節を入れた酒を煮詰めた、醤油が手に入りにくかった当時はよく用いられた調味料で、膾や、刺身の醤油代わりに用いられている。「マイルドで深みのある味わい」とのこと、これまでにも何度か料理書でお目にかかっていたのだが、本書を読んでぜひとも試してみたくなった。

 この「煎り酒」をはじめ、焼いた魚の頭を細かく砕いた「やきがしら」、昨今流行りの干し野菜「ひば」等、時間と労をおしまぬことこそ何よりの贅沢と思えるのは、何につけ便利な一方で余裕のない現代人の感想だろうか。

日々の食事を記録することは「究極のプライベートな表現」と、自身も夕食の献立をつづる人気ブログを持つ松井今朝子がいうように、それは時代を問わずして人を駆り立て、また惹きつけるものなのだろう。

 食にまつわる情報のあふれるいま、人はそれを処理することにまず時間と労力をとられてしまっているよう。そんななかで、日々積み重ねられる今日のそれも、本書のように、後世の人たちに顧みられるようなことがあるのかしら?


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