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『処女懐胎―描かれた「奇跡」と「聖家族」』岡田温司(中公新書)

処女懐胎―描かれた「奇跡」と「聖家族」

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第一子を身ごもった女性は美しい、と思う。救世主の受胎を天使に告げられたときのマリアの当惑―この神聖にして人間らしい感情の表出が、受胎告知(the annunciation)という絵画テーマの妙味であり、謎である。しかし、男には男の見方があろうというものだ。

レオナルド・ダ・ヴィンチが、私生児として生まれ、父母子関係に対して、しごくフロイト好みの複雑な心象風景をもっていたことは、よく知られているとおりだ。マリアの処女性が、他ならぬ救世主の身篭りで担保されるならば、私生児のレオナルドにとって、事情はやや混乱させられるものになる。マリアの持つその担保を損ねないようにと考案された「無原罪の御宿り」(the immaculate conception)を解釈するこの画家の手際に、それははっきりと見てとれる。解剖をよくし、人体博物にどこまでも精通しているこの天才が描いたデッサンは、四方田犬彦(「週間本10 映像要理」1984年、朝日出版社)の言うように、見るものにある種の恐怖心を与える。そのイメージが抜けきらないままに、画家で亡くなるまで手元に残したという、ルーブルの「聖アンナと聖母子」の前に立ち、アンナ(聖母の母)→マリア(聖母)→イエス(幼子・救世主)へとするどく貫く視線を体感する戦慄は、群を抜いて格別のものだ。

『あの光』とピマンデルは言う。『あの光は、私自身、神の人、そなたの神。そして智人より告げられる言葉は<神の子>』(Pimander- Egyptian Genesis

本書は、神秘主義と新プラトン主義のこのような迷路に迷い込むことなく、処女懐胎についての神学的解釈と受容のサンプル群を、幾多の絵画作品の中に見つけ出す。わたしにとっては特に、シモーネ・マルティーニの描く「若きキリスト」をリバプールで見逃した後悔を覚えさせてくれる点において出色である。この画家の超絶的な気品のみが、この危険なテーマ(青年イエス)を描きえたのだ。

(林 茂)


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