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『大衆音楽史』森正人(中央公論新社)

大衆音楽史

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ロンドンは世界で最も人種多様性が高い街だ。ウィンブルドン化のジレンマも随分前から叫ばれているが、その中にあって今も最もイギリスらしさを残すものといえば、クリケット、パブ、そしてrock musicだろうか。この街で聴く音楽は、その少しーいやかなりー荒れたvenueの雰囲気ともあいまって、ざらついた感触を体験として残すものだ。まずい屋台メシがそのザラツキをいやましてくれることであろう。

大衆音楽史はミュージシャンと音楽の歴史である以上に産業史であり文化史である。Continuum社の大型レファレンスEncyclopedia of Pupular Musicの刊行にみられるように、そうした立場での研究が既に始まっている。本書を読んだ後は、ボブ・マーレイの音楽もこれまでとは違って聞こえてくるはずだ。黒人たちの市民権獲得の戦いであるし、旧宗主国からの自立のための戦いでもある。産業史、文化史としての、ロックンロールとカントリーミュジックの関わり、パンクとレゲエ、ヒップホップとパンク、ロックとスキッフル(通常のギターなどに加えて洗濯板や櫛といった日常品を使って演奏する大衆音楽)のつながりがよくわかる。カントリー・ミュージックとアメリカ初期音楽の歴史や、ブルースとジャズ発展のツボについて、コンサイスにまとめられている。ヴァン・ダイク・パークスを聴いてもアメリカンルーツミュージックの根幹が理解できないわたしは全体を二度読み起こすほど気に入ってしまった。地理学者によって書かれた本書はそうした「興味の遡り」を満足させる細部に満ちている。類書の少ないこの分野にあって、参考文献に挙げられているグリル・マーカスの「ミステリートレイン」や、ネルソン・ジョージの「リズム&ブルースの死」などと並ぶ出色の出来であろう。

本書の参考文献リストには挙げられていないが、ジョン・サベージの「イギリス族物語」は、保守と反抗のコントラストが激しいこの国で生まれたーその多くは笑っちゃうようなー「族」を紹介している。テディボーイズ、ビートニック、ニューロマンティック、スキンヘッド。。。。その殆どが大衆音楽と強い関連を持っていて、サブカルチャーにおいても大きな存在感を持つロンドンという街の文化史を知るに好適なガイドブックとなっている。「日本の音楽ジャーナリズムには彼のようなタイプの書き手は少ない。もっぱら音楽オタクとミーハーが幅をきかせる日本の音楽ジャーナリズムの世界には、社会的、政治的な背景と文脈をおさえつつ現在形の文化を語る身振りが欠けている。」(上野俊哉による同書あとがきP.220)という言葉は、ポップカルチャー論の低調さの現在においてもあてはまるだろう。

はじめて洋書を買ったきっかけもー文学とかじゃなくてーロックだった。はじめて英語の’詩’を筆写したのも、Let It Bleedの宮原安春や、In the Court of the Crimson Kingだった。music downloadingの登場によって今やAppleが地球上でナンバーワンのmusic retailerとなった。それはそれでよいだろう。だからこそいま、こうした産業史が書かれることの意味がある。

(林 茂)



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