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『シチリアへ行きたい』小森谷 慶子 小森谷 賢二(新潮社)

シチリアへ行きたい

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とんぼの本」が創刊25周年ということで慶賀の至りである。

便利でハンディな出版形態であって、写真がふんだんに含まれている。雑誌-特に女性誌-の旅行特集などより内容としてずっとよいし、何より情報としてより正確である。コロナブックス(平凡社)であれ、トンボの本(新潮社)であれ、ふくろうの本(河出書房新社)であれ、ちょっとした教養とヴィジュアルなイメージが同時に得られる点でもとてもよい。大学の授業よりずっとよい。以前出かけた巌谷國男氏の講演会(於ABC)でも擁護する主旨の言及があったのだが、このハンディな出版形態はいわばネット時代以前のウェブ情報のようなものであって、教養復権には極めて適したフォーマットかと思うのだが、本屋でも実に地味な存在であって、かといってアカデミックな向きに真面目に捉えられることもなく、ましてや書評に取り上げられることは少ない。

タイトル初っ端から「行きたい」とこうもストレートに表現されると、書評する方も気恥ずかしいものがあるが、それでもシチリアはこの表現がぴったりの場所であると思う。ファインアートを求めるにはやや方向違いのエリアであるものの、歴史的な見所には事欠かない。シンプルな動機であるが、ブローデルの古典「地中海」がこのエリアに行きたいと思うきっかけを作った。西はスペイン、ポルトガルから、東はトルコまでの地中海をにらむ諸施政者にとっては、極めて魅力的なロケーションであり、ギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人、ノルマン、スペイン、フランス、とありとあらゆる民族の支配を受ける。だからむしろこの土地の人と文化は強烈な独自性を持つ。

イングランド」は諸原因の独特の配置の名称であるか、あるいはある部類―その部類には他の成員も存在するーの成員の名称でなければならない。前者の場合、それに関しては普遍的なものの集団はありえない。というのは、単一の独特の対象に関する普遍的な言明はなしえないからである。後者の場合、イングランド法に関する原理と普遍的なものは、「イングランド」が属する部類の他の成員の法にも当てはまるであろう。(J・G・A ポコック「マキャベリアン・モーメント」)

という記述は、シチリアに置き換えてその魅力を説明するにこれ以上ない賛辞である。いまは現代国家イタリアに「支配」されている具合であるが、それもどこ吹く風であってトレナクリアのシチリアはどこまでもシチリアであり続けている。著者二人はシチリアが現在のようなブームになる以前から関連書を何冊か出版しており、陣内秀信の著書数冊と合わせて、この豊穣な歴史、地中海の歴史そのものである島についての簡潔な知識を与えてくれる。渋沢龍彦が小川煕氏を伴って旅をした(「滞欧日記」)1960年代にはマフィアによる事件が横行し、とても個人旅行ができる状況ではなかったという。興味のある向きは、池内紀町角ものがたり」のなかのエッセイ「パレルモの絨毯屋」や、ゲーテ「イタリア旅行 下巻」がとても素敵なので合わせてお勧めする。タビアーニ兄弟の映画「カオス=シチリア物語」も素晴らしい。

(林 茂)


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