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『凡人として生きるということ』押井守(幻冬舎)

凡人として生きるということ

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「人生とは他者を選択し受け入れること。そこに自由がある。」

 私事で恐縮ですが、今年6月に結婚し、同時に小さな会社に正社員として就職しました。執筆活動は収入面でいえば副業です(しかし、いまの会社で担当している業務は広報とか企画なので、社内でずっとキーボードを叩いている生活ではありますが)。そんなわけで「平凡」や「普通」という言葉が気になっています。なにしろ夫初心者であり、会社員ビギナーですから。

平凡とはもっとも遠い場所に立って仕事をしているように見える、映画監督、押井守さんが上梓されたのが本書「凡人として生きるということ」。

この本、独身時代に読んでも書かれている内容が腑に落ちなかったと思います。

独身時代は、結婚すると自由なことができなくなる、と硬く信じていましたが、結婚してみると、「結婚=不自由」という図式は間違っていた、と気づきました。生活実感というあいまいな感じとして、理解できたわけですが、論理的に納得できてはいません(結婚生活を論理的に理解するというのは不可能らしい、というくらいの認識はありますが)そこに押井監督が、「凡人であることの自由さ」を表現してくれていました。

まさに、新婚ホヤホヤ、正社員になったばっかりの、「凡人初心者」である、私のための書籍でした。そして、結婚、そして組織人になることを躊躇っているすべての人(とくに、何かこだわりを持って生きている、オタク的感性を持った男性)にとって、人生の指南書となっていると思います。

 「すり寄る子犬を抱きかかえよ」という節がすばらしい。

 家路を急ぐあなたの足下に、かわいい子犬がすり寄ってくる。この犬を抱きかかえると、飼いたくなるかもしれない。となると、自分の生活が変化し、自由な時間がなくなっく。そう考えて、子犬という「他者」を自分の生活圏に入れない。これが合理的な考えではあります。しかし、子犬を抱きかかえて帰宅して、犬との生活を始めたら、楽しい散歩ライフが待っているかもしれない。

 この「子犬」は、あなたの人生を変える可能性を秘めた、「他者」であり、「出来事」のメタファーなのです。

 押井監督はこう述べます。

「子犬は単なるたとえ話であって、これは人生のあらゆる局面に言える真実だ。もっといい女の子が現れるかもしれないと、いつまでも彼女を作らないようでは、いつまでも彼女は作れないし、いつまでも結婚できない。いつまでも結婚しなければ、いつまでも子供が生まれない。

 もっといい家が見つかるかもしれないと、いつまでも家を買わなければ、いつまでも家を買えない」

 「つまり人生とは常に何かを選択し続けることであり、そうすることで初めて豊かさを増していくものであって、選択から逃げているうちは、何も始まらないのだ」

 私の場合、「子犬」ではなく、リアルにいい女が人生に現れました。「これが最後にして最良の出会いだぞ」という第六感に素直に従いました。その結果として、東京脱出、結婚、会社に就職、と数年前には考えていなかった状況を選択することに。そして、いまの私はたしかに独身時代よりも豊かになっている。

 俺の生き方は間違っていなかったのだ、ということを教えてくれた好著です。

 押井監督は、よりよい人生を夢見ながら、行動することができないでいる人を勇気づけてくれます。自分の撮りたい映画だけを撮っていればいい、という青年期の独善的な態度による挫折経験。映画という他者との共同作業なしでは完成しない表現活動を積み重ねていったプロセスでできた生きるスタイル。

 押井監督は本当にかっこいいオヤジです。 最新作「スカイ・クロラ」のキャンペーンもしっかり組み込まれています。前作「イノセンス」は劇場で3回観て、解説本をすべて買って読みました。「スカイ・クロラ」も何度も観ることになりそうです。


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