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四谷シモン インタビュー

新宿は、20代の頃から「自分の街」という自負がありました。

それ以前からきーよとか風月堂とかヨットなどのジャズ喫茶にはよく出入りしていたんです。コシノジュンコ金子國義と知り合ったもの新宿。

ある日、面白い芝居があるからということで、金子國義に連れられてピットインに出かけました。そうしたら、小太りのタコ入道みたいなヤツが「ちょっと頭にピンを打ってくれないかな」と言って、両手一杯のヘアピンを差し出してきました。やっとこういう変な人がいた! それが唐十郎との出会い。芝居もとてつもなく可笑しくて、まさに前代未聞。いっぺんにファンになり、いっぺんに友達になっちゃった。それから状況劇場の稽古場に遊びに行くようになって、芝居に出演するようにもなりました。ぼくの濃厚な時代のはじまりです。初めは『ジョンシルバー新宿恋しや夜鳴編』。その後ちょっとパリに行って、戻ってきてからは『由井正雪』。花園神社を追い出されて新宿西口公園で強行してテントを立てたら、状況劇場の主だった連中が逮捕されてしまった事件もありました。その時は田辺茂一氏の口添えをいただいて釈放されたんですよ。結局状況劇場には5年ほど在籍したのですが、ピットインや紅テントを通じて、瀧口修三さんや澁澤龍彦さん、土方巽さんらとのつながりができました。よく考えてみれば同時期に一斉にいろんな才能が芽吹いた不思議な時代ですね。熱くて、濃い時代。その、ぐつぐつ煮えたぎる時間の坩堝のなかにたまたまいたお陰でぼくの人生も決まったわけです。

ぼくはやっぱり、<表現>する運命だったんだと思います。そしてその表現の場が<新宿>だった。ただその運命に従って生きてきたという感じですね。唐十郎がヘアピンを差し出さなかったら、そのヘアピンがたかだか2、3本だったら、今の自分はありません。新宿という、台風の目のような文化的磁場力のなかで青春時代を過ごすことができて、ほんとうに幸せだったと思います。

その後30代になってからは人形づくりを教えるようになり、紀伊國屋画廊で展覧会をやるようになりました。それが27年間毎年続いているのも、不思議なご縁ですね。新宿本店のように、一等地にあって画廊やホールという文化的なものが備わっている場所というのはすごく大事。ひとも街もどんどん様変わりしていく中にも、新宿本店のように、昔のままの風景があるのはうれしいですね。(談)


四谷シモン

四谷シモン (よつや・しもん)

1944年、東京生まれ。1978年原宿に「エコール・ド・シモン」開校。2000年回顧展「四谷シモン人形愛」が全国を巡回。紀伊國屋書店画廊において、27回の教室展を開催。

著書に『四谷シモン――人形愛』(写真・篠山紀信、美術出版社)、『人形作家』講談社)、『四谷シモン前編』学習研究社)など。

>>人形愛/四谷シモン公式サイト

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