『この国の経済常識はウソばかり』トラスト立木(洋泉社)
「現実の直視するために、いったん経済常識を捨てて、本書を読むべし」
アメリカ発の金融危機がすさまじいスピードで拡大しています。
「金融危機が加速している」と書いてもなんのことやら分かりません。
これでもぴんと来ません。なんのこっちゃ、です。
「アメリカ発の金融危機の影響で、アイスランドの主要な銀行が機能停止になり、預金を引き出すことができなくなった。国民は困っている」
ここまで書いてやっと「たいへんなことが起きた!」と理解できます。
このように、私は経済オンチ、です。
しかし、私は経済オンチなのでしょうか? 字面だけでは日本経済新聞を読む力はありますし、ニュース番組も理解できます。ところが、いま、日本経済に進行している経済の変化ははげしい。しかも、わかりにくいのです。
そのわかりにくい経済を、明快に解き明かす書籍を一冊見つけましたのでオススメします。
それが本書、「この国の経済常識はウソばかり」。
著者のトラスト立木は、45歳の匿名の経済記者。それしか分かりません。私は匿名の筆者が書いたノンフィクションは読まない主義なのですが、日本の大手マスコミ組織には健全な言論の自由はありませんので、書き手の匿名性についてこだわってはいられません。
本書は平易な文章で書かれた、たいへんな傑作です。
45歳以下で、日本の経済をもっと知りたい、という人は必読であると思います。日本経済新聞を放り出して読んで欲しい一冊です。
本書が類書にない特徴は、景気や経済構造の変化を、「時間」と「記憶」という新しい切り口で解き明かした点です。
「簡単に言ってしまえば、経済活動は価値をつくり出し、それをお金に換算し、再配分することなのですが、実はお金のやりとりのほとんどは時間のやり取りだという考え方を示し、誰が損をして、誰が得をしているのかをあからさまに書きました」
えっ? どういうこと?
いま年金を受け取っている75歳以上の後期高齢者たちは、長年かけてきた年金保険料の数倍の年金を受け取っています。この高齢者たちが、就職難の若者の介護労働を時給1000円くらいの激安でこき使っている。若者たちはいくら働いても、生活が楽にはならない。激安の時給でのアルバイトや派遣労働しかない。正社員になっても、不況なので、いつ会社が倒産するか分からない、定期昇給が期待できない、という不安のなかにいます。こうして若者たちは、人並みの生活をしようとするほど、長時間労働に追い詰められていきます。人生の「時間」が高齢者たちに奪われていくのです。
一方で、高齢者たちは、自分たちがすごしてきた高度経済成長のように、若い人も頑張ればいい生活が送れる、という古き良き「記憶」のなかで生きています。人生は一度きりです。高齢者たちは、その「記憶」しかないのです。よって、就職氷河期世代の若者の置かれた経済的な苦境を理解することができない。
そう、いま若い世代がひとまとめに、お年寄りの安楽な老後のために「激安」で「派遣」されているのです。
「お年寄りはどんどん増え、子どもや若者はどんどん少なくなります。時間をすり減らし、結婚も子づくりもできず、楽しみは自分の老後まで我慢せよ、というのでしょうか。世の中の時間の使われ方は根本的に間違っている気がします」
このように若者の時間を奪い取る、経済の仕組みが日本、そして世界中に構築されてきた事実を、著者は平易な言葉で伝えてくれます。
読んでいて、寒気を覚えました。
私は1965年生まれの43歳。「ノストラダムスの大予言」というトンデモ本を読んで、1999年に地球は滅亡する、という価値観で育った世代です。
日本経済は空洞化している。破綻している。破綻を否定したとしても、破綻に向かってまっしぐら。この大きな破綻を食い止める社会の仕組みができあがっていない。
本書によってそう説得されてしまいました。
このままだと日本経済は破綻します。
選挙によって経済構造を変えようとしても、もっとも大きな政治勢力、世代構成人口になってしまった高齢者たちは、「現状維持」という「時間を止める」選択をとります。改革をしない選択です。若者には、これまで通り、いやこれまで以上に、激安で老人のために奉仕的な経済活動をさせる、という政治的、経済的、文化的な選択をしていきます。
一致団結し、集団で、全国規模で、超党派で、同時多発的に、「時間を止めます」。
むかし「世界同時革命」というスローガンを掲げたセクトがありましたが、今回は高齢者による「世界同時革命阻止」という状況が生まれています。スローガンなし、でです。「静かな反革命」が完成している、といったらいいのかな。
高齢者たちは、日本でもっとも預金をもっている集団に成長しています。年金もしっかりもらっています。
しかしこのお年寄りたちは、泣きながらこう言うのです。
「将来が不安だ!」
若者の将来はどうなるのでしょうか? 犠牲になってもいいのでしょうか?
高齢者は自分の「将来」のために必死であり、若者の将来を考える余裕はありません。「年寄りの犠牲になりたくない!」と怒る若者がどんどん現れて欲しい。
本書を読めば、日本の高齢者たちが「改革」という「時間の流れの正常化」を否定していることが分かります。